パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

常識とは、、、

2017年11月20日 08時32分22秒 | Weblog

最近は新城から豊橋に出かける時は県道81号線を使うことが多い
新城の富岡から和田辻、石巻に至る信号が少ない道で、燃費が伸びるしストレスもたまらない
この時期になると、豊橋よりの地区では道の両側に無人の柿の販売所が設置される
少し見てくれが悪い柿が5〜6個入って一袋200円
家で食べるだけなら見てくれは関係ないからお買い得で、時々利用している
でも、時々フト思ったりする
無人だからお金を払わずに商品だけ持って行ってしまう人はいないだろうか、、と
柿が置かれた台の近くには商品代金を入れる箱、あるいは竹筒が置いてあるだけ
柿を拝借するだけでなくこの集金箱を持って帰る不届き者はいないのか、、
だが、何年もこうして続いているところを見ると、いたとしてもそれほど問題となっていないのかもしれない
この様に無防備に人間を信頼してる姿を見せられると人は悪いことはしにくいのかもしれない

今年読んだ認知心理学の本に、困った状況にある人物が周りの人に手助けを依頼する時
単に助けてほしいと依頼した場合と、お金を払うから手助けしてほしいと依頼した場合の
手伝ってくれた人の数を調べる実験の報告が書かれていた
それによると、圧倒的にお金はもらわないで、タダで人助けをするほうが多かったのだそうだ
人はお金に支配されるところがあるというものの、人はお金だけじゃないってところもあるのだろう
このメンタリティが(違ってるかもしれないが)無人の販売所における料金の支払いとなってるのでは
と勝手に想像した

このお金の支払について、非常に興味深い情報がネット上の投稿にあった
ある人物がスーパーで買物をして、その商品(お菓子だったかジュース)を
レジを通す前にお腹に入れてしまったが、それはどうなのか、、という問だ
レジを通す前に処分しても結局は支払うので問題は無いとする考え方と
どう見てもダメでしょうという考え方があって、この後者の考え方をする人(多分日本人の多く)が
新聞の投書欄にその旨の投稿したのだが、日本人は無条件にそう思うかもしれないが
果たして世界的にはどうなのか、、と世界に住む日本人に各国の実情を質問したら
たくさんの答えが返ってきて、それがとても意外だったのだ
それによると、レジを通す前に食べてしまったり飲んでしまったりすることは結構見られるということだ
アメリカでもフランスでもイタリアでもシンガポールでも、そんなことは当たり前の様に見られるらしい
自分はその行為が美しくない、、という理由であまり賛成できないが
これだけ、そのような行為は問題なしとしている国(人)が多いとなると
日本人だけのモラル感で常識を判断するのは、少しばかりまずいのかもしれない

日本の常識は世界の非常識
とまではいかないとしても、世の中にはいろんな考え方があるものだ

ところで、自分が驚いた外国での経験のひとつはウィーンの地下鉄駅でのこと
ある若い女性が歩きながらバナナの皮を剥き、何の恥ずかしそうな様子もなく
ムシャムシャと食べ始めたのだ
「おいおい、ここでそれをするか、みっともない、、」
でも周辺にいた人たちは何事も無いかのようにやり過ごしている(無関心?)
おせっかいな自分が次に浮かんだのは「バナナの皮はどうやって処分するのだろう、、」
ゴミ箱は近くにあるのだろうか、、家まで皮をもって帰るのだろうか、、
それが気になりだすといつまでも頭から離れない、、どうするのかな、、、
人の記憶というのは不思議なもので、こんな他愛もないことがしっかり頭に残っている
あんなことも彼の地では当たり前(常識)のことだったんだろうか、、


 

コメント
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