あのロゼッタストーンには「今の若いもんは、、、」
と愚痴が書かれていたとかの噂がある
歳を重ねるとついつい出てきてしまいそうなこのセリフ
先日も少し出てしまったかもしれない
先の日曜日、豊橋駅前東口広場で「憲法カフェ」なる催しが行われた
文字通りお茶を飲みながら、憲法について(改正)についての情報の交換で
弁護士の方から、主婦の素人の方、雑誌の編集者、塾の講師など数人が集まって
話が行ったり来たりした
それぞれの思い込みや情報量の差で話が消化不良になってしまったのは
致し方ないとして、その時、おまけのような話題として
今の若い人の自民党支持の多さとか保守化傾向について
それは何故だろうか、、、と、ごく自然に意見交換をすることになった
今に満足していて不満はない
自民党しか知らない
それぞれが自分の生活で忙しすぎる
自民党の何かを改革するという言葉に魅力を感じてる
就職率が以前よりアップしている、、(景気が良くなっている)
割合よく聞かれる解釈が聞かれたが、ある人がポツリとこぼした言葉が記憶に残った
「今の若い人は上に抵抗するのではなく、下の弱い者をいじめる傾向にある」
そう、それ、自分が感じている違和感、それはこの言葉に集約される
自分の中では、若いもんは(若い時期の特質として)強大な強いもの(あるいは悪)に対して立ち向かい
弱い者の味方をするものだ、、と勝手に思いこんでいたし
チャーチルの「20歳の時リベラルでないなら情熱が足りない」は
どこでもいつの時代でも通用するものと思っていたので
今の日本の若者のこの傾向は少し異常に思えてくる
いじめ、ヘイトスピーチ、マスコミの正義感を装った政治家や芸能人のバッシング
非正規労働者に対する努力不足や自己責任論
ネット上の異常とも思える些細なことへの炎上
昔、ある本の帯に「自分以外はみんなバカ!」というのがあったが
若者に限らず今の時代にネット上で飛び交う他人否定の風潮は
どこかストレス発散的な印象を持つ
そしてそれらは、より弱いものを徹底的にいじめる傾向にある
だがこの日の意見交換、もう一つ実感を込めて出てきた言葉があった
「今の若い人たちは、親の年収を超えられないだろう、、と思う」
(確かこのテーマで書かれたアメリカ人の本があったはず)
この少しばかり嬉しくない現実を、若い人たちが無意識に実感として感じているとしたら
彼らははたしてどのような行動を選んでしまうのだろう
自らの努力によって、あるいはみんなで力を合わせて障壁を乗り越えていく
経済が右肩上がりの時代なら簡単にそう思えたかもしれない、
しかし、現代の「努力は報われないかもしれない」「親の経済状況がすべてを決める」と
実感する様な中では、それほどおおらかに夢を持つことは出来ない
こうした屈折した中で自然発生的に起きてしまいそうなのが「弱い者いじめ」
自分より弱いものの存在を確認し、否定し、そうすることによって自分が安心する
仮にそうだとするならば、根っこはかなり深い
他の民族、人種に対する優劣の感情、どこか理性的とは思えない勢いだけのスローガン
そうしたものが引き起こした歴史は残念ながら喜ばしいものではなかった
今は世界中が無意識的に、他の否定の方向に(弱い者いじめの方向に)進んでいないか
(少しばかりではなく)おおいに心配だ
今の若いもんは、、、と文句を言う前に、
いい歳をしたもんは何ができるか、、、考えて実行しなければいけないかもしれない
(果たして何ができるか、、、)
少し心配症のおっさんのつぶやき、、、