パンセ(みたいなものを目指して)

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(戦前・戦中)メディアが敗北した理由と今

2020年10月04日 09時02分02秒 | あれこれ考えること

自分で考えたようでも、実は何かからの受け売りというのはありそうなことだ
一番多いのはメディアからの情報を、さも自分の考えとして公言すること
最近はインターネット全盛で、テレビ・新聞の力が低下し
こうしたオールドメディアは力を持っていないともいわれるが
インターネットの情報提供元は実はテレビ・新聞で、知らないうちにオールドメディアと触れている
そして時代の空気とか勢いとか、そうしたものは今でもこうしたメディアによって醸成される

第4の権力とも言われるメディアは、庶民の間にある方向性やら空気を作るので
気をつけて接しなければならないと思うのは当然のことだが、先の戦争において
メディアは何をなし得たのかが気になって、数冊の本を読んだ(太平洋戦争と新聞、戦争と新聞)

例のごとく、忘れてしまっていることが多いが、時間が経過しても頭に残っているのは次のことだ
●メディアは営利企業であるということ
●新聞は新聞紙法によって実質的に支配されたこと
●メディアはテロによって脅かされて本来の仕事ができなかったこと

一番目のメディアは営利企業というのは、新聞は売れないと商売が成り立たないということで
売れる記事が必然的に求められる
あの時期よく読まれた記事(売れた記事)は戦意高揚の勢いのよい論調の記事
それはまるで贔屓の球団を褒め称えることだったり、勝利を収めた場合には何度も読むために
手元に置く行為と似ている
そしてここが肝心なのだが、本当のことよりは売れそうなこと
「そうあってほしい事柄が事実のようなもの」
として報道されて、それをもとに庶民は自らの考えを持つようになった

新聞は紙がないと商売にならない
戦前戦中は紙の供給を新聞紙法なる法律でコントロールされていた
実質的には時の政府の言い分を聞かないと紙は提供されなかったようだ
だから、新聞は時の政府の望む表現をせざるをえなかった
(ここで今の社会で連想するのは放送法の存在で、
 ある時大臣がある民法放送局の放送停止を匂わせることがあった)

そして三番目のテロ
これはドイツでも全体主義運動を推し進めた大きな要素となっているが
日本でも新聞社に対するテロは、良心的な新聞社の報道姿勢を打ち砕く原因となった

過去を顧みるのは今を見るためだ
過去の失敗を今もしていないか、、、それを確認するためだ
それで、今のメディアの置かれている状況を見ると(田舎のおっさんがあれこれ言っても力はないが)
それはとても好ましいものとは思えない

メディアは営利企業であるために、広告のスポンサーのご機嫌を伺うことになる
広告スポンサーはその影響力が大きいために必然的に政府の中枢と深い関係を持つし
政党にも献金をする
以前「スポンサーを引き上げるようにしたほうが良い」と特定の放送局に脅しをかけた政治家がいた
これは現実的なメディアの生き死の問題で、笑い話で済まされる問題ではない
多くの高給取りの社員がいるメディアも、誰かに頭が上がらない現実は存在する

放送法で、放送停止の恐怖を感じるのが放送局
放送を止められれば放送局は何もできない
(高市総務大臣だったかが、ある時どこかの局に匂わせた事があったような)

今のところテロはメディアに対しては起きていない
ただし、物理的な暴力行為がなされていないだけで、言葉の暴力は以前とは比較にならないほど
巷に蔓延しているのではないか

このように悲観的に見ると、今のメディアとか社会の環境は決して好ましい状況とは思えない
「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」
この警告は
「なにピント外れなこと言ってんの!」
とか、無関心の空気に何も力を持たないような気がしてしまう
でも、それでも、、何かを言い続けないと、、不安が、、、



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