やっと肝心なところ(条文の訂正・追加など)の議論に入った
昨日(5/8)の新城市の議会改革検討会議
とうとう傍聴のリタイア(途中棄権)してしまった
得るものも、感想を述べる情報もなかったし、現場での熱意も一部の人を除いてなかった
これ以上傍聴していても意味はない!と判断し切り上げた
もっとも最初はそんなつもりではなかった
条文の訂正・追加ということで現在の「議会条例」をプリントして持参し
どのように変更されるのか、、、をチェックするとつもりでいた
今回も5人づつの2チームに別れてワークショップ形式で
やる気のある議員から出された訂正案(赤い文字で書かれた)を
それぞれ検討するという形で行われた
(当日は長田議員が欠席 傍聴議員は下江・打桐議員)
前回ここで取り上げたが、このワークショップ形式は傍聴席の近くの机で
行われるのは聞こえるが、遠い方の机は何が話されているかわからない
おまけに、赤い字で検討用に追加された案は議員さんたちには各自配られているが
こちら傍聴者の手元にはない
それを知ろうとするには、全面に映し出されたパワーポイントの文字を追うしかない
ところが、遠くから見ることになるその文字は、目がしょぼいことになりつつある身には
よく見えない
結局、何が話されているかわからないし、検討案もわからない
つまり肝心なことは何もわからないということだ
そこで敢えて傍聴している意味を見つけ出すというのなら
ワークショップしている議員さんの熱心さのチェックということになるかもしれない
だがそれはひと目で分かることで、前回も今回も本当にやる気のない人物はいた
(それは多分誰が見ても同じように感じたに違いない)
そしてこの人物は会議が始まる前にある場所で
「ワークショップでやるなどと馬鹿馬鹿しいことをするなら帰るぞ!」
などと大声で怒鳴っていた
(誰がどこで何を聞いているか 注意力不足ですぞMさん)
とうことで、傍聴する意味はほとんど存在しないと考えた
もっとも最後のまとめのシーンを見れば、それなりに価値はあったかもしれないが
今回はそこまで我慢できる気分にはなれなかった
それにしても傍聴者にある時は資料を配っていただけたり、
ある時は何事も無かったかのように無視されたり、、
勉強会のときには傍聴者に対する応対も話されたはずだが
その進めるべき方向は 結局反映されなかった(何を勉強したのか?)
ところで、この議会改革検討会議が本当に必要なものであって
議員さん全員が共通の認識を持って今後をむかえるようなもにできるかは大いに疑問だった
現に検討会議のメンバーからも今後の進め方について、当初決めたとおりの検討会議メンバーで
たたき台も含めて進めていって良いのか、全員で進めるということもしたほうが良いのではないか
との意見が出た
ここの部分は議会の運営上の段取りの技術的・法令的なところで素人にはよくわからなかったが
全体としては、
最初はみんなで話し合うということは要領を得ないから、代表メンバーで大枠を進めていく
勉強した内容も他の議員さんに知っていてもらいたいから傍聴に来てもらうように声がけする(しかし、傍聴には来ないのが現実)
また会議録の配布も行う
ただ条例の変更等の正式な段取りでは全員参加の場が必要になるし、市民のパブリックコメントも必要となる
どのみち議員全員で検討しなければならないのだから、当初の計画を変更して、早い段階で全員の参加を求めたほうが
良いのではないか、、、
(だから、そもそも限定されたメンバーで行うとした事自体がまずかったのでは、、)
いやいや最初の方針通りでいく、、、
この手続論で、本論に入る前になんと45分間も時間を費やした
少し呆れると同時に、この議会改革が議員さん全員に必要なものとなっていないという現実を垣間見た
ところで、へそ曲がりの文句言いの自分は、また少し別のことを考えてしまった
それは市民のパブリックコメントという手続きが必要ということに関して
議員さんでさえその変更の意味がわからないような条例の案を、
(訂正案を提出した議員さんは他の議員さんに分かるように一生懸命説明していた)
まったくの素人に聞いたところで、その意味が分かるとはいえず
素人はなんと答えるのだろうか ということだ
(パブリックコメントを求められるのはどんな人達なんだろう、、、一般市民?)
その聞き方は、答えやすい形式になっていのだろうか
確かに条例の変更・追加の段取りはそのステップを踏むことになっている、だがよくあることで
段取りの瑕疵はないが内容についての検討は、中身がわからないために突っ込むことは出来ず
単にステップを踏んだというアリバイにしかならないのではないか
(だが、市民みんなが議会条例を熟知しているなんてことは、それもまた異常で好ましいものでは無い気もする)
今回はリタイアした検討会議
次はどうしよう、、
少しばかり(よくわからない)責任感のようなものもあるし、やっぱり最後まで見続けなきゃいけない?
本質的にはいい加減な自分、 その時 考えるか、、、