パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

仕事だからできること(その反面、怖さも!)

2021年10月10日 10時23分49秒 | あれこれ考えること

人は仕事ならどんなことも我慢できることがあるかもしれない

先日の「チコちゃんに叱られる」では、とうもろこしの髭と
実の部分の数が同じことを確かめるために
スタッフが何時間もかけてそれぞれの数を数時間かけて調べていた

これはバカバカしい光景で苦痛とも言えるが、テレビ的には面白いと踏んだのか
それに追い打ちをかけるために数を数えているスタッフに
別のスタッフがわざと声をかけて(集中を途切れさすような)邪魔をした
彼はそれを怒りももせずに黙々と数え続けた

その時感じたのは「仕事だからできる」という思いだ
仕事でないなら、自発的にとうもろこしの髭と実が同じ数ということを知らべるなんてことは
端っから思いもしない(圧倒的に面倒なことがわかっているので)
このように、仕事だから我慢できたり、続けられることは少なくない
その意味では仕事は一種の修業の場になりうるのかもしれない

だが仕事の場という理由で、いけないこともしてしまう可能性も否定できない
それが昨日扱ったツイッターの法人格を伏せてのデマとか誹謗中傷の投稿だ
そのアカウントは個人と思われていたが、実は法人格で仕事としてその手の仕事を行っていたのだ
そのスタッフのみんなが、その仕事に充実感と使命感とやりがいをもって行っていたのか
それとも仕事だからやっていたのかわからない

仕事だから、お金が入るから、、できてしまうことは間違いなく存在する
それは単にお金に支配されるというのとは少し違う気もするが
とにかく命令された仕事はやってしまうというのは珍しくもない

以前、自分らの市政に対する行動について「プロ市民」と批判をした人がいた
「プロ市民」という言葉自体知らなかったが、彼らに言わすれば、お金をもらって
市民のふりをして行動する連中という判断だったらしい

ところが実態は全く反対だった
お金が入るどころか、自ら自腹を切って行動していたのだ
広報誌を印刷をするには自分たちの財布からお金を
ポスティングには自分たちの労力と時間を提供していた
本当にしなければいけないことと思うことは、お金も時間も自ら投げ出して
それで効果があるかと不安を思いつつも行い、そこで多少の充実感も感じたものだった
(最近の行政裁判の弁護士費用も自腹を切って行っている)

仕事だからできること、仕事でなくてもできること
動機づけはどちらのほうが強力なのだろうか
ただ言えるのは、対価のみを前提とした行動は案外つまらないということで
人が人として動くのは自発的な行為のほうが意味がありそうな気がする
(これはハンナ・アーレントの人間の条件の中の労働・仕事・活動の違いか)

ということで、日曜らしからぬお話
いつものことか、、

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