パンセ(みたいなものを目指して)

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怖いのは大衆(民意)

2024年12月30日 09時14分23秒 | あれこれ考えること

なぜドイツ国民の多数はナチスを支持しあのような結果を招いてしまったのか
なぜドイツ国民はユダヤ人の虐殺をしてしまったのか
これらの事件に対してその根本的な原因を探るべく力を注いだのが
フロムの「自由からの逃走」とハンナ・アーレントの「全体主義の起源」
両者ともすぐに理解できるような著作ではなく理解には一苦労する
だがその著作の動機は必死さに溢れているかのように見える

今のうちに原因究明等に真剣に取り組んだほうが良いと思われることは
現在の日本にもありそうだ
今年自分的には一番ショックだったのは
都知事選、兵庫県知事選における大衆の動きだった
それは安易にオールドメディア対SNSの覇権争いという言葉で
説明できるほど簡単ではないと思う

少し客観的に見ればとても信じられないようなことが
何故か熱気を持って受け入れられ、それが民意の結果だとされてしまった2つの出来事
それは大衆は必ずしも理性的ではないことを証明してしまったかのように見える

ただ多数としての民意(石丸支持、斎藤支持)をこのように批判すると
頭ごなしにオールドメディアの洗脳されていると断定的に言い切る人の多いこと多いこと
それは自分にはとても恐ろしいことのように思えて仕方ない

自分が一番恐れるのは石丸氏でも齋藤氏でもない
自分好みの情報に頼って、自らは正義をなしているように思い込んでいる人たちの存在
それが不気味で仕方ない

そしてそれらはかつて日本が戦争へと進んだ過程を何処か思い起こさせる
昔読んだ「戦争と新聞」だったか「太平洋戦争と新聞」のどちらだったか忘れたが
ショックだったのは、国際連盟を脱退した松岡洋右が帰国したときの
日本国内の歓迎ぶりとそれを伝える新聞の興奮気味の記事
それは今から見ると異様としか思えない

今年の出来事を振り返ることのできる未来の人々は
なぜ、あんなモノに振り回されてしまったのだろうか?
と思うのではないだろうか

年の終わりのこの時期に、こんなことが頭に浮かんで不安を感じるのは
きっと良いことではない思う
でも、気づいてしまったのは仕方ない
なにかすべきことをする、、それが気づいてしまった人間の責任かもしれない



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