パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

多数派の中にいることで自信を持ってはいけない

2024年12月22日 09時41分43秒 | あれこれ考えること

何かの本で日本人の行動傾向を他国と比べたものがあった
それは行動の動機づけに関することで
イギリス人はその行動をすると勇敢だと思われるから行動し
ドイツ人はその行動は法的に定められているから行動するのに対し
日本人はみんながそうしているから同じようにする
と自虐的に紹介したものだった

日本人は確かにみんながやっているというものに弱い
流行りの食べ物とか写真映えのするスポットに行くとか
その他探せばもっといろいろ出てきそうだ

それはちょいと真剣な政治的な部分でも同様で
今では103万円の壁というキャッチーなことを取り上げた
国民民主党が評判になっている
そこから更に深い議論とか政策に結びつけば良いのだが
庶民にはあちこちに影響する話は難しいために
理解は初期段階に留まっている
そしてイメージとしてのみんなが理解しているとか
行動していることに従ってしまう

みんながそう思っているというのは悪用されやすい
例の問題が多い兵庫県知事選についてある新聞記事が話題になっていた


選挙後半になると多くの人が集まり異様な熱気を帯びた斎藤さんの街宣活動
その中には県外の40代の男性が多くきていたという調査の紹介だ
スマホの位置データからどんな人がどんな演説を聞いていたかを調べたものだが
記事タイトルにあるように県外の京都、大阪から40歳以上の男の人が来ていたらしい
気になるのは斎藤さんの街宣が終わっても集団はその場所から立ち去らなかったそうだ
それは斎藤さんの後は立花孝志氏が続いて街宣をおこなったからで
この立花さんの街宣は奇妙なほど斎藤さんのすぐ後同じ場所で行われることになっていた

ここで怖いのは、日本人のみんながやっていること思っていることに弱い傾向を
戦略として利用することがありうることだ
自分自身は確固たる自信はないが、みんながやっている(思っている)というだけで
自分に自信が持てるようんな気になってしまう
それはある意味プロパガンダに載せられていることだが
深刻なのはそれをそう感じない人が大半ということだ

数が多い方に流れる(従う)というのは
オルテガの「大衆の反逆」によれば、実は日本人だけでなく
そもそも大衆というのはそういうものだと説いている

だからこそ「民意」というものは危なっかしいものだと思う
最近「民意は正しい」と無邪気に思い込む人がいるが
「民意は正しいとは限らない」という事実は
過去の歴史から学ぶことができる
(例えばヒトラーを選挙で選んでしまったドイツなど)

昨今はオールドメディア対SNSとの戦いと一括りで語られることが多いが
すでに何人かの人が説いているようにオールドメディア対SNSとか
左派対右派の対立ではなくて、本当のこととデマとの戦いなのだと思う
問題は、感情を刺激するデマは、理解に時間を要する本当のことより
伝わりやすく、結果的に多数派を生じやすいといういこと
そして多いというだけで信じてしまう結果となること

さて、こうした現状をどうして解決していけば良いのだろう
一人ひとりが賢くなるに越したことはないが
それも現実的には難しそうだし、、、

ところで、兵庫県知事選で県外から訪れた人たちはその行動が
自発的だったのか、それとも何らかの動員があったのかが
気になるところだが、これを分析する方法はあるのなら
ぜひ調べてほしいものだ
(一部では動員が図られたと言う噂がある)












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