パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

古事記(入門編)を読み返した

2018年07月27日 11時08分36秒 | 

体調は相変わらずの状態
腰が悪いのか股関節が悪いのか、、とにかくそのあたりが痛いかの重苦しいのか
とにかく違和感がひくことはない
あまりゴロゴロしてばかりなのは体に悪いと昨日軽めの運動(水中ウォーキング)をしたが
これが失敗だったかもしれない
軽めになった違和感が復活したようで、、、ほんと困った

ゴロゴロばかりはいけないので、幸い暑くない二階で、やっぱりゴロゴロしながら
本を引っ張り出した

夏は真面目に本を読む気になれないでいるので、手元に放かりっぱなしになっている軽めの本

古事記は真面目に読んだことはなく、この様なエッセンスを集約した本ばかり眺めている
でも何冊か読むうちに曖昧な知識や記憶も少しづつ形になっていく
おまけに、それらの本を読んで(?)から時間が経っているせいで却って記憶が整理されたようで
なかなかおもしろく読み続けられた
(相変わらず漢字表記の神様の名前は覚えられないが)

ところで「美しい日本」と枕詞を並べて日本だけを賛美するある種の方々
彼らはこの手の本をじっくり読んでいるのだろうか
神武天皇の存在を疑いなく信じている人は、彼のお母さんはどの様な人か説明できるのだろうか
(なんとなく、そこまでは関心なさそうな印象を持ってしまうが)

日本には神社検定というのがあるそうだ
最初は常識的な神社にお参りするときの話とかが問題になっているらしいが
上の段階になると古事記のことについての知識も問われるらしい

どの国にも神話がある
人には作話機能という傾向があり、それでもって社会の安定を図る傾向があるようだ
(ベルクソンの道徳と宗教の二源泉にあったような記憶が、、、)
神話自体の存在は、その内容も含めて面白いが、そのまま一方的に信じてしまうのは
やっぱりどうかと思ってしまう

ところで自分が古事記に関心を持ったのは、人はいかにして嘘をつくか
事実をごまかすか、、ということに興味があったから
歴史は当時の権力者が公文書等で残す物語で
本当かどうかは、いまいち怪しい
だから最初から疑いの目で見たらどんな印象を持つか自分で納得したかった

先日読んだある時期発刊禁止となった「古事記と日本書紀の研究」津田左右吉は
大真面目で科学的に、いろんな可能性を踏まえて解読していたが、これは面白かった
だが、こうした本が発刊禁止となり、その結果(このせいばかりではないとしても)
悪い方向に世の中が進んでしまったが、無条件に日本を礼賛する傾向は
多様な解釈をも否定しそうで、、、ちょいと心配

でも、少しばかりいい加減な感情的な神様が動き回るこの古事記は
思いの外面白いと感じるのも事実
それにしても、名前が覚えられない、、、のが情けないが

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