パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

小さな、頭でっかちのサッカー

2010年04月20日 22時13分11秒 | サッカー
日本人は体力がないからトップバッターは
四球を選ぶかヒットを狙い
運よく出塁したら盗塁で進み
次に犠牲バントで3塁まで
最後は犠牲フライかスクイズで得点

守りに関してはデータを駆使した配給を試み
守備体系もやはりデータに基づき確率の高い
方策を講じる

一見当然と思われるようなこの方法
ところがちょっとしたミスを逃さないスキル
パワーの前に、必死の思いで得た得点は簡単にひっくり返されてしまう

世界はこの方向に進みつつあるし(フルスイング系)
見ていてもスリリングで面白い

ところが島国の日本人は
なぜかデータを駆使しているのは自分たちだけでなく
相手も同じという発想が抜けていたりする

これは実は野球ではなくサッカーの話
岡田監督のしようとしているサッカーは
日本人のベースボールではなく野球に
姿を変えたものに似ている

日本人には日本人の方法がある
確かにその通り
だが一人ひとりが劣ることを前提に対応しようとするのは
どうなのだろう?

岡田監督の場合だけでなく
指導者たちも日本人は劣るから1対1を避けるように
指導してはいないか?

チームプレーの基本としてよく出てくる数的優位
しかし、数的不利をあえて作り出し(相手を引き寄せ)
結果的に数的優位を作り出すバルサの本質を見逃し
数的優位の部分だけに注目し、それが理論的と
試合に生かそうとしている現実は皮相的ではないか

基本は1対1
限界はあるかもしれないが
とことん訓練しなければならないのはここの部分ではないのか?
(特に若いうちは)

助っ人のブラジル人Jリーガーのドリブル
そのキープ力は日本人とはかなり違う
何故違うのか?
どこが違うのか?
どうすればあのようになれるのか?

もちろんドリブルだけではない、守りもそう
相手についていける感覚を身につける
それらは経験というものからしか得られないだろう

頭で考えることも大事
しかし、今はあまりにも狭義の意味で
サッカーが頭でっかちになっていやしないだろうか?
(代表の試合)
だから何となく窮屈で面白くない

といっても今からのスキルアップは間に合わないのも事実
困ったものだ


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