パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「近代の虚妄」読書中

2020年10月28日 10時17分54秒 | 

思いのほか面白かった「歴史の終わり」(上)だったが
勢いに任せて注文したのが(下)ともう一つこの本

いざ届いてみると、どちらを先に読もうかと迷ってしまった
いつものパターンなら(下)の方を読み終えてから移るのだが
今回は(下)は一旦お休みしてこちらを優先した

この本には「歴史の終わり」について書かれた部分がある
それはフクヤマ氏の楽観的な見方に対する批判で、物事はそんなに簡単に
理性が求める状態にはなっていないことを、現状を踏まえて行っている

フクヤマ氏の「歴史の終わり」が書かれたのはベルリンの壁が崩壊した直後で
少しばかりハイテンションな気分で、思いの丈を思いっきり発揮したかもしれない
その時点での判断をとやかく言うのは可愛そうなところもある

ところで、日本人の書いた「近代の虚妄」は「歴史の終わり」に劣らず広範囲の視点
総合的・俯瞰的に取り上げられている
この本も先へ先へと気が急いてしまったが、そこで感じたのは
「自分はこの手の本によって考え方・感じ方が作られていった」ということ
気が急いて流し読みっぽくしても、なんとなく言わんとすることが分かるのは
既にこの内容を受け入れようとする姿勢と知識・情報が個人の中に蓄積されているからだと思う

と言っても、自分にはこの本を詳しく紹介できるまでの力量はない
例の如く、部分的に印象にのこった部分を取り上げるしかない
(それでいいのだ、と「読んでいない本について堂々と語る方法」と書いてあったが)

そこで文中つい書き出しておきたくなったのがオルテガから次のような引用(大衆の反逆からの)
「今日の大衆は、彼らが喫茶店からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を
 持っていると信じているのである」
このあたりの話は、ワイドショーで得た情報を世論と称して、あたかも正当な空気のように
なりつつある現代を連想させる

それともうひとつ現代の特徴としての次の点
「相互的な寛容」や「組織的な自制心」や「手続きへの信頼」が民主主義を支えるとしても
これらの「暗黙の規範」そのものは、民主主義から生み出されるわけはないのだ。
いや政治的でさえない。それはひとつの国の自生的な文化や歴史的経験、社会的な意識の中で
形成されるほかない。「コモンセンス」つまり常識である。
現在のトランプさんの姿勢はこの「暗黙の規範」(緩やかなガードレール)をやすやすと超えている
そしてこの「暗黙の規範」とか「紳士協定」をあっさり放棄しているのは
アメリカだけでなく現在のこの国も似たようなものだ、、、と感じてしまう

ということで、なかなか刺激的なこの本、読み終えるのが楽しみだが、心配なのは
この本の売れ行きはどのくらいで、どのくらいの人の間で共通認識ができているのか
という点
個人的にはこういう本こそがベストセラーになってほしいと思うが、、、ちょいと無理かな


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