高校時代の芸術選択は音楽だった
その音楽の時間、大半は歌うという行為にあてられたが
その時に強烈な印象として残っているのが
シューベルトの冬の旅から「おやすみ」を歌った時と
イタリアの歌曲「帰れソレントへ」とか「マレキャーレ」を「オー・ソレ・ミオ」
歌った時の気持ちの良さが全然違うということ
後者の声を張り上げて歌うことの気持ちよさ
肉体が欲しているような必要不可欠のようなものにさえ思えてくる
シューベルトは沈潜して深い気はするけど
頭で感じている感じ
そこで話はいきなりポール・マッカートニーに移るが
ポール・マッカートニーの楽曲は声を張り上げて歌うと
とても気持ち良いものが多い
先日取り上げたキャリー・ザット・ウェイトも歌いやすいし
オブラディ・オブラダ のサビも
レット・ミー・ロール・イットも
アナザーデイのサビも
ハイ・ハイ・ハイも
アンクル・アルバートからマルセイ総督の掛け声っぽい歌も
ご存知ヘイ・ジュードも
本当に歌詞の意味云々よりも感情、体が心地よい
歌とか楽曲の評価とは
言語で解説されたものではなくて
演奏され続けることが一番正しい評価ではないのか
簡単にいえばカバーされる、コピーされること
バーンスタインがビートルズはシューベルトよりも
格上の作曲家と言ったが、なるほどと思ってしまう