パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

若手建築家いわく「寝室はエロっぽくあるべき」

2007年04月13日 20時29分02秒 | Weblog
今日、若い建築家と話す機会があって
そこでなかなか興味深い意見が聞けた

彼が言うには
「日本の寝室はエロっぽくなくてダメだ」
というのだ。
イタリアなんかはもっとプライベート空間として
エロっぽくて照明も凝っていたり、
二人で酒を飲んだりできるような作りになっていたり
シャワーもあったりで
これこそが本当の寝室で、日本のようにどの部屋でも一緒で、
ただベッドが置いてあるだけじゃダメだ

基本は、寝室を重要視する事によって
夫婦が仲良くしている事が子供たちにも(教育にも)
良い影響を与えるに違いない
というのだ

日本のように避けて通るような扱いはすべきじゃない
誰か自分にこの事を発表する機会を与えてくれないかな、、、とも。

リビング、キッチン、お風呂
それらは盛んに住宅雑誌などには特集されるが
寝室の特集はないかも?
寝室はどうあるべきかは
案外、見逃していた大切な問題かもしれない
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1泊200万円! 馬鹿みたい!

2007年04月12日 23時04分06秒 | Weblog
最近東京にできたホテル、
その最高の宿泊料金が一日200万円超だとか
どうすればそんな高い部屋が出来るのか
どんなサービスがあってその価格に落ち着いたのか
それらは小市民の自分の想像を超えたところだけれど
第一感は
「もったいない、馬鹿みたい」

もちろん、そんな風に思うのは自分たちの生活とかけ離れた
金額のせいであるし
常々贅沢な生活を満喫できる人々にとっては
なんら高すぎる金額ではないかもしれない

しかし、それをわかった上で
やはり「馬鹿みたい!」と思いたい!
自分のためだけに(努力してお金を得られるようになったとしても)
そんな金額を使うのは変だ
人間の一日はどうやったって24時間だし
どんなにいいものを食べてもそんなには食べられない
つまり、法外な金額の滞在は馬鹿げている(ように思える)
そんなことなら、その金額の半分でチャリティーした方がずっと気が利いている
いや、ホテル自体がそのようなお金の使い方をしたら良いのにと思ってしまう

確かに人間の欲望は無限で
自分もそんな経験を出来る立場にあったら
躊躇することなくステータス気分を味わうために
そんなお金の使い方をしてしまうかもしれない

しかし、幸か不幸か、今は小市民の存在でいて
そんな贅沢を馬鹿げている、
と言い切る立場にあって
そんな風に思う事を好ましいと思っている

ヒューマニズムの上で恵まれない人々にうんぬん、と言うのではない
ただ、単純に馬鹿げている、と思うだけだ
この考えは贅沢のすばらしさを味わう想像力が
欠如しているからかもしれないが
そんな想像力なら要らない!と思っている

高い金額を払う事にステータスを感じる人々
その人たちは本当に何に充実感を感じるのだろう?
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アジアCL 浦和レッズVS上海申花

2007年04月11日 22時27分30秒 | Weblog
結果的にはレッズの1対0の勝利に終わったのだが
中3日のゲームは体力的にキツいのだろうか
レッズの全体的な動きは今ひとつだった
最初の数分間はそれなりだったので
チャンスにいれておけば、もう少し違った展開になったかもしれないが

長谷部は前半よい働きだった
縦へのスピードでチヤンスを作っていた

阿部はオシム監督が来ているからか(?)
シュートのシーン以外にもインターセプトやフリーランニング
先週のジュビロ戦で苦労したときと違って
すばらしかった

ところで永井、リーグ始めの頃の運がなくなってきて
首を傾げるシーンが多くなってきている
まず、オフサイドが多すぎる
次にボールキープができないし、前が向けない
第3に左サイドはセンタリング、ドリブルともにやり難そう

ポンテは今イチ身体がフィットしていない?
キレがないように見えたのだが
もう少し走る距離を多くしないと
ワシントンが走らないだけに皆に負担が多くなりそう

小野は無難にこなしていたが、攻めにかかった時に
もう少し危険な香りを漂わせないと
上手いだけに終わってしまいそう
(2.3本さすがというパスはあったけれど)

山田は一時期の不調から抜け出しつつあるのかな
心配なのは坪井、危ない!と声が出そうになるシーンが多すぎた

鈴木、闘莉王は可もなく不可もなし

正直なところ今のレッズはそんなに強くない
週末は柏と対戦だとか
勢いに乗る柏を止められるか
それともなんとか、持ちこたえられるか

Jリーグ、ナビスコカップそしてジア・チャンピオンズリーグ
試合が多いのは見る分には楽しむ機会が多くなっていいのだけれど
パフォーマンスが下がってしまっては何にもならない
興行と質の両立はなかなか難しい問題かもしれない
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駅が町の中心ではない京都

2007年04月10日 21時13分12秒 | Weblog
我々電車で旅する者は、ついつい駅が町の中心だと思ってしまう
ところが、日曜に京都を訪れて、御所のあたりを歩いてみると
その周りの比較的近いところに有名な寺院や観光地があるのに気づいた
それらは京都駅からは遠いのに御所からは近い
そう、つまり、駅は町の中心ではなかったのだ

京都は東西南北の道の名前を覚えれば、
だいたいの位置をイメージしやすいらしいが
御所を中心に据えてみると同様に覚えやすそうな気もした

そういえば東京も駅を中心に考えるよりは
江戸城(皇居)を中心に考えると無理なく位置関係が
頭に入っていきそうな(?)気がした

結局、町の地理を覚えるには、
その町の成り立ち、発展を理解する方が
よそ者にはわかりやすいかもしれない(?)

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京都御所、一般公開を見て!

2007年04月08日 21時23分02秒 | Weblog
毎年、年に一回くらい京都に行っている
去年は夏、お盆時分に、
そして今年は今日、桜を見にではなく
京都御所が一般公開されるというので出かけてみた

京都はいいなあ!といつも思うのだが、今までは
銀閣寺、南禅寺、永観堂、天竜寺、大徳寺、龍安寺など
禅寺系の「侘び寂び」のお寺さんが心が落ち着いて
好ましく思っていたのだが
今日、御所を見て、京都の「雅」の部分もすばらしく思えてきた
というより圧倒されたようだ

紫宸殿、清凉殿などの建築物が開放的なすっきりした佇まいで
屋根も桧皮ぶき、所々の細かな格子も、また白い壁も、全てが
本当にきれいだった
京都の本当の意味は御所がそこにあって、そこの文化、趣味を
その周辺に一般化しているのだ、ということがよくわかった

ところで不意に源氏物語絵巻は人物を描くために
柱と柱の間に邪魔なものは何も設けないでいる
と思っていたのだが
今日初めてその建物を見て、本当に柱しかない事に気づいた
その開放感は凄いな

日本の歴史、その文化的なおおもとは
宮廷文化にあるのだとつくづく感じた一日だった
「雅な京都」
自分の好みに欠落していた部分なので、
これからはこちらも逃さないようにしなければ!

それにしても京都は深い!
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少年サッカー、新年度スタート

2007年04月07日 17時16分48秒 | Weblog
入学式も終わって今日から少年サッカー新年度開始。
子供たちの数も1年から6年まで70人近くで多くなっているけれど
こちらののスタッフも一人増えて今日は6人体制

今年の自分の担当は1,2年生
1年と言っても幼稚園を出たばかりで何もわからないだろうから
我慢、我慢の連続かな!

今日は1年6人、2年8人で行ったが
まずは顔と名前を覚えなくては!
出席をとっても一発で覚えられる程の記憶力はない
毎週しばらくは出席を取らねば!

軽く走ってから柔軟体
そして一段落してから、ちょっと一言
「サッカーはミスするスポーツだから、失敗を恐れてはいけない
たとえミスしてもプレーは止めないでミスのカバーをして最後まで行う事」
「後で試合をするけれど夢中になってやりなさい、君たちの世代は自分勝手でいいから
思いきって自分のしたい事をしなさい」
「練習中、どれくらいすれば疲れたりするかわからないから
疲れたときは、こちらも見るけれど口で教えてほしい」
こんな事を伝えて(わかったか、わからないか?だけれど)
練習に入った

オシム監督じゃないけれどまずは走る事から!
前、後ろ、横、前転してダッシュ
コーンを置いて細かなステップの訓練
(これはまだまだ上手くいかないだけじゃなく
 大事な練習なので毎回するつもり)
それからじゃんけんで二手に分かれて
勝った方はビブスをズボンの後ろにつけて
目的地まで取られずに走りきるゲーム
(あまり左右にふくれたり、時間がかかったものは負け)
それからゴールに向かってボレーキック
ゴールからスタートして途中で反転してシュート
(子供たちはドリブルで向きが変えられないので、
 試合では追いかけられると、どんどん遠い方へ行ってしまう
  だから向きを変える練習は現実的に必要な事柄だ)

こんな事をしているうちにそろそろ出てきたのが
「いつまでやる、、」
「ねえ、今日試合やる?」「いつからやる?」
こんなセリフが出てきた時は集中がキレてきた時
しかし、気がつくと50分くらいやっていた

後半の練習は、どうも気合いが乗らない感じ
いつもの事だから別にあわてる事もない
最初の集中できているときの練習を大事にしたいものだ

さあ、お待ちかねの試合
一応コートはあるけれど、自分は危ない場所に行かない限り
どこまでもゲームは続けさせてあげる
すると、とんでもないところまでボールの追いかけっこする事になる
でも、夢中になっているところが見えてこちらも楽しくなってくる
それに知らず知らず走る距離も長くなってくるし、
必然的にスタミナも付くようになる?

今日は性格を見るために特に大きな指示はなし!

しかし、一つのプレーで上手くいって褒めてあげると
子供たちはのってくる事、のってくる事。

顔を真っ赤にしながら、ガンガンぶつかったり、転んだり
すぐ起きてプレーを続けたり
味方にも敵にも大きな声で怒ってみたり
中にはゲームに参加しないタイプの子もいたけれど
総じて夢中になれていたようだから今日の練習はまあまあかな!

自分の目標は、この世代の子たちは逞しくなってほしいということ
結局、一人一人が自立していかないと上にいってもゲームにならないので
その基礎を作りたいと思っている

それにしても、本当に夢中になって
勝ち負けを競っているのを見るのは
(負けた方は泣いてる子もいた)楽しいものだ

次は今度の土曜日
名簿を忘れずに持っていかねば!
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タミフルを飲んだ人の話

2007年04月05日 21時36分12秒 | Weblog
最近はインフルエンザになると、病人本人が辛いから仕事(学校)を休むのではなく
他人に移ってはいけないから休むようにしているようだ(?)

先週インフルエンザになって、3日ほど仕事を休んだ人に
今朝会ったので早速聞いてみた
「タミフル飲んだ?そして、どうだった?」
彼は30才を越えたくらいの人物
「日に何回か、幸い自分はなんともなかった」

一方、家に帰ると母の知り合いの人が
インフルエンザになってタミフルを飲んだ時には
「とても妙な気分になった
まっすぐにしていられないような、、、」
等と言ってたそうだ

どうも個人差があってハッキリしないようだが
怪しいというものを使い続けるのはどうだかなあ!

このタミフル、日本だけが突出して備蓄しているらしいけれど
素直にインフルエンザの治療のためだけと思えないのは
政府や官僚を信じられないせい?



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命名権など

2007年04月04日 22時24分21秒 | Weblog
スタジアムの名前を一定期間企業に売って
自治体の収入の一つにしようとするケースが増えてきている
企業側もそこで行われるイベントの告知の度に
企業名を出す事が出来るので効率の良い(?)
広告と考えているようだ

しかし、そうであっても一般の生活者には紛らわしいい話だ
あのスタジアムの名前は何だったっけ、
そんな場所知らない
こんな話が多くなりそうだ

ラッピングバス
ラッピングされた地下鉄
エレベーターの手すりに賑やかな広告
階段にもぺたぺたとメッセージ
何でも広告の媒体にしてしまうバイタリティーには感心しても
「美しくないなあ!」

全てが「自分が、自分が」と主張しているので
全体としては乱雑に感じるだけになっている

景観としての美しさ
自然でない、人工物である(人工美を体現している)都市も
そうしたものを守るような気配りも必要だと思うのだが
(一定のデザイン的な制限を設けるとか)

つまりはお金を持っている企業は力任せに
自己主張するのではなく
全体のバランス、使いよさを慮って
(コロコロ変わるスタジアム名は不便で仕方ない)
広報活動をしてほしいものだ




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ホームとアウェイ、そしてサポーター

2007年04月03日 21時06分03秒 | Weblog
昨日、浦和と大分のゲームをスカパーの再放送で見ていて、
大分の試合ぶりが、気合いが入っている様子が感じられて
しかも、内容も重なっているのを見て(高松、いい選手だな)
「そういえば最近ホームゲームは以前よりは
勝率がどこもよくなっているのではないだろうか」
と思い浮んだ
正確な数字ではないのではないのだけれど
新潟、大分、浦和、鹿島などは特にそんな印象がする

やっとこの国もホームとアウェイの違いが出てきて
戦い方も変化していくだろうか
(ヨーロッパのようにホームは勝ち、
アウェイは引き分けでも可みたいに)

このホームとアウェイ、
なんでそんなに戦い方や質が変わってしまうかはよくわからないが、
この事実だけはよくわかる

子供たちのサッカーの試合
「あれっ、今日××君、よーく頑張ってるな、いつもと違う」
こんな風な印象を持つときは必ずと言っていい程
お母さんやお父さんが見に来ている
見てくれる人がいるとか、応援してくれる人が近くにいるというだけで
力の出方が変わってしまうのはこの事からもわかるが
なるほどサポーターは12番目の選手というのは本当の事だ
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ヨハネ受難曲

2007年04月02日 22時00分57秒 | Weblog
昨日4月1日 午後5時から
愛知県 芸術劇場コンサートホールにて
合唱・管弦楽 バッハ・コレギウム・ジャパン
   指揮  鈴木 雅明で
バッハのヨハネ受難曲の演奏会があった 

1年ぶりのコンサート
この手のコンサートは慣れが必要(?)なのだが
しばらくご無沙汰していたせいか
自分の体調の優れなかったせいか
はっきり言ってしまえば、そんなには楽しめなかった

何がそうさせたのかはわからない
レコードではカール・リヒター
ミュンヘン・バッハのシリーズのを聞いていて
それに慣れてしまっていたので多少違和感を感じたのかもしれない

最初の合唱の前のオケの音が
あれっ、と思ったのだが、
それは現代楽器とピリオド楽器の音色の違いのせいだろうか

そんな事を思っているうちに、関係はないのだが急に
ギュンター・ヴァントの出す音はやわらかだったなあ
等と思い出してしまった

ヨハネはマタイよりも劇的で合唱が大きなウェイトを占めるが
その部分はよかったにしても
気になったのはコラールの部分が全部(?)元気よく
歌われていたように思えた事
歌詞からすれば、もう少し感情を込めてもよいと思われるところでも
割合無頓着に過ぎていったみたいだった
よく演歌の歌手は、詩をよーく噛み締めて自分のものにして
歌うというのだが、昨日のはそうではなかった
ように思えてならなかった

それと休止の部分、曲と曲のつなぎの間合いが
もう少し丁寧な方がよかったのではないかと
素人目には思えてしまった

アリアの人たちは各々感情移入が出来ていて
それなりに引き込まれてしまった

鈴木雅明氏はヨハネを通して把握しているのではなく
その場その場で全力で演奏してるようで
全部力が入って最後には疲れてしまった
(それはこちらが久しぶりのコンサートで慣れていないから?)

音楽は、学者より、聞き所を本能的に把握できる
職人の方の演奏の方が楽しめる、そんな印象も持った

しかし、またもや話はそれてしまうが
一般にはマタイの方がヨハネよりも多く演奏されるが
その理由がわかったような気がした

いずれにしても、そう何回も聴ける曲ではないだけに
少しばかり残念な演奏会だった


 
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