今日は先々週の小学生の大会に続く中学生の大会
その前にまずはコート作り
我々がホストになっている関係上、コーチ陣と
中学生でラインを引いたのだが、、、
いつも思うことなのだけれど
100メートル×70メートルの四角形を描くのが案外難しい
最初のタッチラインを引くのはいいのだけれど
さてゴールラインを直角に引くのを
3対4対5の丁寧な直角三角形の理屈などを使わずに(面倒なので)
引っ張ってしまうと、さてこれが向こう側のタッチラインの長さ
ゴールラインの長さが少しづつ違ってくる
そのくらいはいいとして(?)
今度はペナルティーエリアを、長さはいいにしても
直角をアバウトにすると
遠くに見える向こう側のペナルティーエリアが
ひどく曲がって見えたりする
こんな風で、四角形を単純に大きくするだけで
ひどく難しいというのを毎回感じざるを得ない
きっとこれに限らず、いろんなことも大きくするということは
困難を伴うのだろう
さてこのコート作り、決まって能率が悪いシーズンがある
それは夏と冬
蒸し暑くて少し動いただけで汗がにじみ出るような頃は
思考能力も働かず、キビキビ動けず
ただただ時間がかかる
一方冬は、風が強くてメジャーが風に流され
直線が確保できずイライラが募るばかり
これからそんな季節に向かうがしばらくは辛抱かな
中学生くらいになるとコート作りも手伝わせるのだけれど
人数はいてもなかなかはかどらない
彼らは現実に正確なコートの大きさを知らないかもしれないし
いつもコートは大人にやってもらっているので
みんなでコートを描く経験もない
だから大人が「~~してくれ」
指示しても今一ピンときていない様子
それで結局は大人が具体的に事細かに言わないと
進んでいかない
そんな光景を今日も見ていて
不意に、この国の割合ありがちなサッカーのゲーム展開に
思いが至った
どうもこの国はゴールするという最終目的を知っている割には
一人一人がそれぞれ考えてベストなことをしようとする
気持ちが少ない(様に見える)
所謂、司令塔とか攻め方の基本とか
つまりは教えてもらわないと(指示されないと)
何もできない
このことがヨーロッパ、南米の連中に比べて
一人一人の存在感の軽さに現れるようだ
外国の強いチームは、
オトコたちがそれぞれのパートで責任を持って
自分で考え、あるときは決まりを遵守して
あくまでも戦う集団としての印象を持つが
日本は、よく訓練されているが、ひ弱な
決まったことをやるだけの(しかし韓国のようにしつこさはない)
集団になっているとしか見えない
サッカーは自分で考え判断するゲームというのに
どうしても野球的な、誰かが統率して
ゲームを進めていく考え方から抜け出せない
これは個性を尊重しようと言いながら
実際にはその生徒の個性を伸ばしきれない(可能性のある)
指導方針が大きな理由かもしれない
といっても日本人が美しいとか好ましい
と感じるのは、みんなで一致団結して何かする姿だから
仕方ないかな
自分は、その前に個人個人が
確立したオトコとして存在してから
規律、決まりを守る戦う集団になればいいと思っている
もう少しわかりやすく言うと、個が確立する前に
人はあまりにも多くのことを言い過ぎて
自分で考えるのではなく、(パートナーの決まった)惰性で上手く行く
プレーを続けているのにすぎないように思えてならない
チームを強くする
このことが指導には割合大きなウェイトを持つが
自分はどうしたらその子が伸びるかの方が気になる
結局、強くなるためには個々の能力のアップ
それから先はアドリブで対応する能力が必要と思うのだが
どうも約束事の練習が多いように見える
もっとも今日この地にきたチームの中にも
基礎、発想の柔軟さをきちんと指導してやっていたところもあったので
(そのチームは残念ながらよい成績ではなかったが)
将来が怖いな!
というか楽しみだな!と思ったのも事実で
みんながみんな、決まりきった早めに勝つ方法だけの練習を
していないようなので安心してもいいかな
その前にまずはコート作り
我々がホストになっている関係上、コーチ陣と
中学生でラインを引いたのだが、、、
いつも思うことなのだけれど
100メートル×70メートルの四角形を描くのが案外難しい
最初のタッチラインを引くのはいいのだけれど
さてゴールラインを直角に引くのを
3対4対5の丁寧な直角三角形の理屈などを使わずに(面倒なので)
引っ張ってしまうと、さてこれが向こう側のタッチラインの長さ
ゴールラインの長さが少しづつ違ってくる
そのくらいはいいとして(?)
今度はペナルティーエリアを、長さはいいにしても
直角をアバウトにすると
遠くに見える向こう側のペナルティーエリアが
ひどく曲がって見えたりする
こんな風で、四角形を単純に大きくするだけで
ひどく難しいというのを毎回感じざるを得ない
きっとこれに限らず、いろんなことも大きくするということは
困難を伴うのだろう
さてこのコート作り、決まって能率が悪いシーズンがある
それは夏と冬
蒸し暑くて少し動いただけで汗がにじみ出るような頃は
思考能力も働かず、キビキビ動けず
ただただ時間がかかる
一方冬は、風が強くてメジャーが風に流され
直線が確保できずイライラが募るばかり
これからそんな季節に向かうがしばらくは辛抱かな
中学生くらいになるとコート作りも手伝わせるのだけれど
人数はいてもなかなかはかどらない
彼らは現実に正確なコートの大きさを知らないかもしれないし
いつもコートは大人にやってもらっているので
みんなでコートを描く経験もない
だから大人が「~~してくれ」
指示しても今一ピンときていない様子
それで結局は大人が具体的に事細かに言わないと
進んでいかない
そんな光景を今日も見ていて
不意に、この国の割合ありがちなサッカーのゲーム展開に
思いが至った
どうもこの国はゴールするという最終目的を知っている割には
一人一人がそれぞれ考えてベストなことをしようとする
気持ちが少ない(様に見える)
所謂、司令塔とか攻め方の基本とか
つまりは教えてもらわないと(指示されないと)
何もできない
このことがヨーロッパ、南米の連中に比べて
一人一人の存在感の軽さに現れるようだ
外国の強いチームは、
オトコたちがそれぞれのパートで責任を持って
自分で考え、あるときは決まりを遵守して
あくまでも戦う集団としての印象を持つが
日本は、よく訓練されているが、ひ弱な
決まったことをやるだけの(しかし韓国のようにしつこさはない)
集団になっているとしか見えない
サッカーは自分で考え判断するゲームというのに
どうしても野球的な、誰かが統率して
ゲームを進めていく考え方から抜け出せない
これは個性を尊重しようと言いながら
実際にはその生徒の個性を伸ばしきれない(可能性のある)
指導方針が大きな理由かもしれない
といっても日本人が美しいとか好ましい
と感じるのは、みんなで一致団結して何かする姿だから
仕方ないかな
自分は、その前に個人個人が
確立したオトコとして存在してから
規律、決まりを守る戦う集団になればいいと思っている
もう少しわかりやすく言うと、個が確立する前に
人はあまりにも多くのことを言い過ぎて
自分で考えるのではなく、(パートナーの決まった)惰性で上手く行く
プレーを続けているのにすぎないように思えてならない
チームを強くする
このことが指導には割合大きなウェイトを持つが
自分はどうしたらその子が伸びるかの方が気になる
結局、強くなるためには個々の能力のアップ
それから先はアドリブで対応する能力が必要と思うのだが
どうも約束事の練習が多いように見える
もっとも今日この地にきたチームの中にも
基礎、発想の柔軟さをきちんと指導してやっていたところもあったので
(そのチームは残念ながらよい成績ではなかったが)
将来が怖いな!
というか楽しみだな!と思ったのも事実で
みんながみんな、決まりきった早めに勝つ方法だけの練習を
していないようなので安心してもいいかな