パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

オランダ戦雑感

2013年11月17日 07時39分52秒 | サッカー
日本2-2オランダ
しばらく冴えなかった日本代表の戦い
昨日の明るい話題が大迫の活躍というのは
多分万人が認めるところ

スタメンはいつもと違って
GKに川島から西川 ボランチに遠藤から山口
攻撃的MFに香川に変わって清武 トップは柿谷に代わって大迫
4人を替えて試合に臨む

第一感は、
思い切ったスタメン
なにも試すのはオランダ戦という難しい状況下でなくても
と思ったが、このくらいやったほうがいいかもしれない
でも得点の臭いがしないな!
といったのが正直なところ

試合の入り方は良かった
10分くらいまでは主導権をとれた
最初のチャンス岡崎はきっちりミートしなきゃ

ところが、どうも代表戦ではイマイチとか運のない内田がミス
あっさり失点
またチンタラした試合が続くのかの予感

ロッペンのシュートは素晴らしかった
得意とはいえ確実に入れるのは素晴らしい
その前のファン・デア・ファールトのダイレクトの長いパスも圧巻
この失点はしかたない
相手を褒めるしかない

そのうちに長谷部が良いもらい方をして大迫にパス
二人の間を走った大迫が確実に決めて1点を返して後半に

後半は香川が清武、遠藤が長谷部と交代イン
中盤、香川がつなぎ役をしたために割合円滑な流れに
岡崎、内田、大迫とつなぎ本田が得点
これはきれいな得点
内田の喜び方は最初のミスのカバーができたからか

香川のシュート惜しかった
きっちり枠にいって余裕のある狙いだったがキーパーがうまかった

柿谷はどチャンスを外す
枠にいくことの多い柿谷にしては珍しいシュート
あれは決めなきゃ

結局、両酒井も出場
2-2のままだったが
まずはザッケローニ監督も批判から逃れられそうで
ホッとしたところかな

オランダはファン・ペルシー欠場で迫力に欠けたのかもしれない
またオランダ事情に詳しくないので分からないが
南アフリカの時シュートを決めたスナイデルが選ばれていないのも
日本には幸いしたかも
ゴリゴリ来る迫力だけではなんとか耐えられそうな気がしていたが
ちょっと危ないところはあったが、スナイデルがいなくてよかった

試合を通して良かった点はやはり大迫
運動量も多いし、色んなところをそつなくこなしている
高いクロスにヘディングで競り合うなど
得点パターンは柿谷よりも多いかもしれない

器用に何でもこなし切るところは柳沢にも通じる
アントラーズは伝統的にああいうタイプの選手を好むのか
また案外大迫がすんなりと入っていけたのは
今までの代表の前田とプレーイメージが似ていて
他の選手も合わせやすかったのかもしれない

その意味では柿谷はちょっと違う感じで合わせるのに
もう少し時間がかかるかもしれない
もっとも彼のベストポジションがトップではないような気がしてならないが

KAZUが本職でないFWをやることになったのと似ている
FWは常に結果を出さなきゃ批判の的
柿谷は腐らずに精神的に強くなるしかない

ところでメディアのスターシステムによる柿谷の持ち上げ方
今は結果が出なくて、そろそろボロクソに書かれつつある柿谷
でも今回は彼の責任じゃない
昔は自滅したみたいに遅刻したりしてチームから一旦追い出されたが
今は批判を受け入れている

だが持ち上げて落とすのはメディアの仕事
あるいは人の悪口は蜜の味
しばらくは耐えるしかないでしょう
ただザッケローニ監督が使い続けるか?

ところで昨日の試合で何よりも心配だったのが岡崎
相変わらず献身的・ひたむきなんだけれど
調子を落としている
空回りというか、雑なプレーが多い
よく走るからボールが来るのだがそこからの成功率が低すぎる

先月のセルビア戦なども岡崎の不調が気になった

山口はフル出場に値するパフォーマンス
シンプルにボールを動かすし意外と球際にも強い
まだ遠藤ほど攻撃のセンスは感じられないが
細貝よりはセンスがありそう
続けて試してほしい

ということで、大迫・山口は合格
清武はイマイチ
岡崎が心配といったところ

この調子なら岡崎は工藤と代わられても仕方ない感じ

内田は安定しない
まるで吉田のように
ただ酒井がまだ内田のレベルに達していないだけで
いつか抜かれてしまうかもしれない

ところで、こうしたクラスの試合になると
考えてしまうのが「運」のこと
「運も実力のうち」とは言われるが、
人智を超えたところで「運」は存在すると思えてならない

ワールドカップに運のなかった男KAZU
そして中村俊輔も体調万全でなくやはり運がなかった
高原も絶好調時にエコノミークラス症候群
香川も最終選考で漏れる
内田も結局同様

この意味では、香川・内田はあと半年気をつけねば
また同じことにならないように

そういえば柿谷の数試合無得点も
代表のパフォーマンスが落ちていた時だったから
その中で要求されるのは運がなかったかもしれない

さて次のベルギー戦
今度のスタメンはどうなんだろう
大迫は続けて使うべき
後半終わり頃になって柿谷と交代
山口ももう少し一緒にやらせるべき


今の調子なら岡崎の位置に清武
酒井宏樹は個人的にはもう少し見てみたいな

それにしても岡崎と内田は日本ではメディアにも
一般にも批判されることが少ない
キャラクターのせいかそれとも他の理由か

ところで、メディアは今度はどうやって大迫を持ち上げるのだろう?


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ノルウェーの森

2013年11月16日 18時29分37秒 | あれこれ考えること
ラバー・ソウルを久しぶりに聞いたら
村上春樹の「ノルウェーの森」を思い出した
正確に言えば、読んだという事実を思い出しただけで
内容はすっかり記憶の外にある

ただ読んだ時も感じたのだけれど
あの小説と音楽としてのノルウェーの森との関係は
どんなところなのか少し疑問
ただ小説のタイトルとしての「ノルウェーの森」は、
あの音楽がないとしても多少詩的な感じがしないではない

内容は、かわいそうなくらい記憶に無い
ただ自殺した人がいて、痛々しい感じが読後に残ったのが
覚えている唯一のこと
そして、痛々しい小説なら柴田翔の「されど我らが日々」
と似てると感じて、その当時の酒の相手となっていた本好きの
人間に本を貸した気がする

痛々しさという共通項があっても、比較すると
自分は「されど我らが日々」の出来に軍配を上げる
村上春樹は確かに独自の村上ワールドをつくっている
でもその切実さでは柴田翔のあの頃のほうがずっと上をいっている
(ように思えてならない)

1Q84も悲しいくらい印象に残っていない
効果的なエピソードはあっても、時々妙なエンタメ的な部分が混在したり
お手軽な定型的な表現が使われたり
つまり、ここでも必然性と言われるくらいの表現したい何かへの
切実さを自分は感じることが出来ない

さてビートルズのノルウェーの森
この詩的なタイトルを抜きにしたら果たして名曲か
確かに不思議な印象を残す音楽
女の人に振り回される男をあっさりと
客観的に夢の中の出来事のように歌っている

正直なところジョンの曲でラバー・ソウルの中では
自分は「ガール」の方が好き
後半の声とギター伴奏の絡みは意味がわからなくても心地良い

それにしても純音楽のクラシックにしても
ポピュラー音楽にしても、また小説にしても
「タイトル」(アダ名)って、多くの人に知られるためには必要なんだな


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ポール・マッカートニー公演の予習

2013年11月14日 19時02分23秒 | ポール・マッカートニー
来週の火曜日19日が自分が手にしたポール・マッカートニー東京ドーム公演日
ということで、先程はレコードの「ラバーソウル」を引っ張りだして
特にポールがつくった歌を中心に聞いてみた


ラバー・ソウルの録音の時代はまだジョンの影響力が強いようだ
シンプルな中にも強い(メッセージというには大げさだが)何かを感じる
あのジョンの時としてパワフルな声が存在感が凄い

ポールはメロディアスな歌いやすい曲が並ぶ
大学時代にアン・マレーだったかが「You won't see me」をカバーしたのを
ラジオで聞いて深くはないけど心地良いなと感じたのを覚えている

レコードの予習ばかりでなくこんな本も引っ張り出してきた


何十年も前に購入した本
さらっと読んだなかで、「ヘイ・ジュード」が高く評価されて
「レット・イット・ビー」はそれほどでなかったのが不思議だったが
最近は何となく分かる気がする

この本読んでいるうちに音楽を聞いている気になっていく
右側からピアノの音、左から~~の音などと詳しく書かれているので
読み終わった後はそれを確認するために聴こうと思ったりする

さて日本ツアーの演奏曲
既にプログラムも先立って行われた外国のものでだいたいは想像がつくけれど
行けば分かることは前もって知るのは楽しみを奪うだけ
行ってからのお楽しみ!
と構えることにしよう

演って欲しいのは定番の曲以外では
アナザーデイ、ワンダーラスト、オーダーリン、ジャンク・アンド・アイ・ラヴ・ハー
最近の中ではマイ・ヴァレンタイン
ロング・アンド・ワインディング・ロードがあるなら大げさな編曲のやつじゃなくて
シンプルな方で演って欲しいな

アビーロードの「The end」までのメドレーも多分やってくれると思うけど
希望をあげたらキリがない

ホント楽しみ
ところで、ポールは今日は大相撲を見ていたようだ
NHKの画面でも流れていた
画面を通してみたポールは、やっぱりちょっと歳をとったな!
というのが実感
この日大相撲を見に行ったお客さんはラッキーな体験をした
運の良い人たちだ、さかんに生写真を撮っていた

来週の火曜日までポールは怪我・風邪などになりませんように!
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吉田秀和氏の文章

2013年11月13日 19時54分20秒 | 徒然なるままに
吉田秀和氏の文章が好きだった
一番接することがあったのはレコード・CDの新譜の感想だったが
他の評論家と違って自分が感じたことを定番的な文章
(精神的な音楽とかいぶし銀の音色など)は使わずに
何よりも自分の感じたことを自分の文章で紹介されていて
それが心地よかった

以前は吉田秀和氏の文章は理知的と言うより
感覚的な面に特徴のある人の印象を持っていたが
最近本棚にある本、「ベートーヴェンのを求めて」
とか「全集1」「音楽の旅、絵の旅」を読み返して
それまでの印象とは全く異なることに驚いた

感覚的どころかひどく理知的なのだ
ただしそれが高邁な一人よがりの表現にならず
誰にでもわかりやすく表現されている
ものすごい知識と教養をそれと感じさせない文章で語られている

彼の得意とするところは何よりも音楽に関することだけれど
音楽を音楽以外の手段を使って表現するのは難しい
だから他の人は容易に「精神的な~」などという表現を使ってしまい勝ちに
なるのだろうけれど、吉田秀和氏は音楽は音楽の言葉、楽譜を用いて
その作曲的な秘密・演奏のエッセンスを紹介している
時に感覚的な表現を用いることがあっても
実体験に基づいているために他人でも共感しやすいものとなっている

日本の評論家の大家 小林秀雄の作品に「モーツァルト」があるが
なるほど評論というのはこういう分野なのか、随分理屈っぽい賢い人
と思う反面若干の違和感があった
その原因は、小林秀雄はことモーツァルトに関しては
それほど音楽を聴いていないのではないか
ということ
彼のモーツァルトにの接し方はスタンダールとかアンリ・ゲオン
ゲーテからであって直接の音楽体験はさほど多くなかったのではないか

一方、吉田秀和氏のモーツァルトに関するものは
圧倒的な量の音楽体験から出発している
そしていくつになっても失わない柔らかな感性
本当にいつまでもあのような子どものような(?)
感性を持ち続けることは難しい

最近読んだ吉田秀和氏の文章にこんなのがあった

「人の作った音楽を歌ったり、演奏したり、きいたりするというのは
モーツァルトや何かと話をしているのであり
自分では発見できない、いろいろな美しい話をきかされたり
何かしている間に、自分がより自由になり、大きくなり、あるいは軽くなり、
たとえ自分では気づかない場合があるにしても、相手といっしょになって、
それまでなかった一つの新しいものを経験することにほかならない」

こうした柔らかな、本質をついた(と自分には感じられる)文章
現在の日本にこれほどの教養と知性を持った全人格的な
知識人が存在するのだろうか

こうした人の不在が、今の日本の余裕のない世界を
加速させているような気がしてならない
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次のドイツ旅行は、、、(行くことができたら)

2013年11月12日 20時29分00秒 | 徒然なるままに
今年の6月に37年ぶりにドイツ・オーストリアを訪れたが
帰国して時間が経つと、エコノミークラスでの
あの長い時間の忍耐も大したことではないような気持ちになってくる

そして、遠いと思った国も気持ち次第でいつでも行けるような
錯覚に陥っている
時々、海外旅行とは関係のないサイトを見ていても
タイミングよく海外旅行ツアーの広告が目に入る
これはおそらく一旦海外旅行のツアーのサイトを見た人に
再び表示されるようになっているのだろう
無駄がないとは言え、凄い時代になってきたものだ

それで、表示される広告をクリックしてしまう訳だけれど
ツアーは定番の都市や国が主で、自分の次に行きたいところは
ほとんど現れない

海外旅行に散々行って、行きつくし今は穴場を探している
というのではない
行きたい先とは6月に行った時と同じで
37年前に訪れたところの再訪問をしてみたいだけのこと

ハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓
ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク
ザルツブルクの城とモーツァルトの家
リンツの聖フローリアン教会
ウィーンのシェーンブルン宮殿・ベートーヴェンのお墓・モーツァルトのお墓
これらが6月の再訪したところ
旅行とはいえ観光地というより自分の心のなかを辿っているだけ

今ふと考えているのは、次に行くことができるとしたら
今度は作家絡みでカルフとチュービンゲンとマウルブロン修道院
これはヘルマン・ヘッセに関連する土地
これらの地もやはり37年前に訪れたところ
カルフは生誕地、チュービンゲンは彼が働いていた書店があった
(なぜだかこの書店があったことはよく覚えている)
そしてマウルブロン修道院
この修道院の近くのユースホステルに泊まった時
子どもたちの団体が一緒になり、彼らが夜中までずっと騒いでいて
眠れなかったのでつい日本語で「うるさい!」と叫んだことがあった
記憶とは不思議なもので肝心なことよりこうしたエピソードの方を
よく覚えている
そして、どういうわけか窓から眺めた屋根のレンガの重なりも
記憶に残っている

今、ネットでチュービンゲンの画像を見たりすると
彼の作品の中の情景が浮かぶようで
とても懐かしい感じがする
そして自分はやっぱりドイツが好きなんだ
とつくづく感じる

ドイツの理知的でありながらロマンティックなところ
技術者・学者の精神を持ちながら音楽をこよなく愛する国民性
目に見えないけれど確かに大事なものがあると確信しているような
(それは自分の思い込みかも知れないが)
そんなところに惹かれてしまう

その他作家絡みではトーマス・マンの都市リューベックも印象に残っている
当時の紙幣のデザインに使われた門を入って
美しい市内散策をしていた時に聞こえたのが鐘の音
それは幾つもの鐘が競うように圧倒的な存在感で
その辺りの空気を満たしたように思われるほど
トーマス・マンがなにかの小説で鐘のことを書いていたが
実体験としてはこの事だったのだろうか
と勝手に思ったりする

でもトーマス・マンは理知的すぎて少し苦手
やはりヘッセが自分は好き
「シッダールタ」
これはあらゆる文学作品の中で一番好きかもしれない
わかっていても最後の方は涙が流れてくる
人によってはロマンティック過ぎる結末というが
そんなことはどうでもいい
これこそ自分のための作品
そんな風に思い込んでいる

とそんなわけで、ヘッセに入れ込んでいるのだから
次のドイツはカルフ・チュービンゲン・マウルブロン修道院はやっぱ外せないな

はたして行く機会は訪れるか?

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ポールとジョンの曲

2013年11月11日 20時20分53秒 | ポール・マッカートニー
今の自分の年齢近いことを歌った曲
それをポールとジョンが作って歌っている
しかし、ここでのジョンはジョン・レノンではなくエルトン・ジョンのこと
曲調に随分個性の違いが出ている
もっともエルトン・ジョンの方はバニー・トーピンの詩のイメージから
インスパイアされたものが大きいかもしれないが、、、

その曲とはビートルズ(ポール)のWhen I'm Sixty Four


アルバム サージェント・ペパーズロンリーハーツクラブバンドの中の1曲
なんか呑気な音楽
みんなと大勢で歌うと気持よさそうな曲

エルトン・ジョンの方は Sixty Years On


ユア・ソングが入っているアルバムの中の1曲
60になったら(人は死んでしまって)寂しくなることを切々と歌った曲
少しセンチメンタルな印象
でも秋に聴くにはいい感じの曲

この2曲 皆が知っているタイプの曲ではない
でも、好きなんだな自分は

ポールは「フール・オン・ザ・ヒル」
エルトンは「ハイアントンの思い出」
これらも少し知名度は低いがいい曲だと思う

ところで昨日ポール・マッカートニーが大阪に到着
いよいよ日本公演が始まる
フール・オン・ザ・ヒルは昔の世界ツアーで歌われていたが
今回の日本公演の中には入っているのだろうか

何れにしてもチケット確保した19日の東京ドーム公演が楽しみ


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王者の資格

2013年11月10日 21時48分09秒 | サッカー
横浜1-2名古屋
浦和3-3仙台
広島1-1柏
鹿島2-1湘南

Jリーグもいよいよ大詰め
普通ならこの時期になると劇的なゴールを挙げるチームが出て
勢いに乗って優勝ということになるだが
今年はどうもどのチームもスッキリしない

横浜も肝心なところで負けてしまうし
浦和も勝負弱い
広島も昨年の勢いがない
鹿島は勝負強くなってきたが勝ち点が少し足りない

混戦で面白くなってきたというより、
今年は「王者の資格」があるチームが存在しない

レベルが低いというのでのない
しかし何かが足りない

残りの対戦相手から判断すると
横浜が優勝の可能性があるが
なにかシリーズを通してのインパクトに欠ける
もっとも上にあげた全てのチームも年間を通しては
強さを感じることはない

不思議な年だ

そしてどこが優勝しても今年は不満が残りそう
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豊川市の国分尼寺

2013年11月10日 09時13分56秒 | 徒然なるままに
B-1グランプリで人出が予想される豊川市に出かけた
目的は名物料理を食べることではなく
ちょっとした個人的な用事

用事は会場とは離れた平尾町方面だったせいで
それほどの渋滞は見られず

約束の時間に少し余裕があったので
道沿いに看板があって以前から気になっていた
場所に出かけた(三河国分尼寺跡史跡公園)


正直なところ、こんなになっているとは思わなかった
跡地というから説明の立て札が立っているくらいと思っていた

復元された中門は大らかなスッキリした印象の建物
それほど大きなものではないが
ひどく心を惹かれた
京都の凝縮した感じとは違う
確かに奈良を彷彿とさせる感じかも知れない


中学の歴史で聖武天皇が各地に国分寺と
国分尼寺の建立を行うようにしたとうっすら覚えていた
この時代のことを考えるといつも思うこと、
それは何故中央から離れたこんな地区まで
中央の司令・命令が実行されたのかということ
現在のように交通機関が発達しているわけでもないし
情報のネットワークも貧弱なものだったろうし
文字を読める人も少なかっただろうし

土地の人は中央からの武力を恐れて従ったのか
現代なら抵抗感なく受け入れられることも
当時のこうした環境を考えると不思議な感じがしてならない

跡地というだけあって礎石跡が並ぶ

費用の点で復元は中門だけで
回廊のまで至らないがちょっと残念

京都のお寺さんに行ってもいつも心惹かれるのは回廊の部分
ここを昔の人は歩き、この景色を見ていたんだ
と思うだけで気ままな想像が頭をめぐる

それにしても、自分がこのきれいに並んだ礎石の跡を
見るだけでこんなに心がウキウキするとは思わなかった
想像力というより妄想に近いかもしれない
何もない分勝手気ままな連想が浮かぶのかもしれない



この公園の敷地内に資料館もあってここで出土された
鬼瓦や土器が展示されている
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人間というリスク

2013年11月07日 19時23分20秒 | あれこれ考えること
予想したとおり、出てくる出てくる食品の偽装表示
これらはこれもまた予想通りホテル・旅館に限ったことではなかった
思うに識者が解説するような業界体質なんてものではなく
人間の不完全さから導き出される結果でしかないような気もする

つまり人間はどんなに完璧な法体系やシステムをつくっても
必ずそれに従わない数%の人々が存在する

それは面倒だから従わないのか、
自分にとって儲からないから(利益がないから)従わないのか
それとも生物としての人間に予め組み込まれたプログラムにより
従わないように(サボるように)なっているのか
そのところは分からないが、とにかく現実として
必ず例外は存在する

完璧と思われるシステムはそれを善意で守るということが
前提になっているが、そこのところが生物としての人間
(感情のある生物としての人間)が行うのは多分確率的に
無理だと思えて仕方ない

何々をしないために罰則の様な一種の保険をかけても
何十にチェック機関を設けても、やはり人間は間違いを犯す
どんな優秀な人の集まりでも、どういう訳か起きる

そこで話は飛んで原発に移ると
実は一番怖いのは「人間というリスク」ではないかと思ってしまう
耐震強度や津波に耐える物理的なものよりも
そこに関わる人間が完璧でないかもしれないというリスク
例えば耐震強度にしたって、きちんと工事を実行していることが前提となるし
津波にしたって同じことが言える
緊急時に的確な判断ができるかどうかも怪しいし
避難する人間が多ければ多いほど
まとまって正しい行動の可能性は低くなるのではないのか

また正確に伝えるべき報道についても
意識的に正しい報道をしない可能性
また震災直後に見られた報道陣と技術者のちぐはぐなやりとり
(報道陣は技術的な知識がなく、技術者は的確な説明能力がない)
まだまだ考えれば、いろんな状況で人間に関わる危険性がいたるところにある

そうなると、実際のところ原発は人間の手に負えないのではないか
と思ってしまう
たしかにピラミッド・万里の長城・モン・サン・ミッシェルなど人間の
可能性は無限のように思えないこともない
しかし、自然は想定外の危機をいとも簡単に気まぐれに発生させる
それは人間の想定ということをあざ笑うかのよう

組織は純粋培養されたような(皆が勤勉で決まりを守って向上心に富んだ)
完璧な形を求めるが、言葉の上ではそれが表現されることがあっても
現実は難しいのではないか
そもそも、そんな組織は想像するに息苦しそう

優秀な人材を集めれな、理念を共有すれば確率として
ある組織は短期的にはうまういくかもしれない
しかし、そんな中にも始めはそうでなかったのに
いつか例外の存在は発生するのではないか

以前「働かないアリに理由がある」
という本を読んだが、人間も集団になれば
必ず働かない人間が出てくる
(善悪はべつとして、何故なら悪とされる人はそのときが来れば
 まともに働く可能性がある)
問題は、こうした不完全な存在である人間の集団を
完璧な理想とすべき存在と仮定していること

つまり完璧な組織とは(原発の安全性確保実施組織)
ハンドルの遊びのない人間組織を前提としている
だが、それははっきり言って無理

だから、原発の安全性についてどんな策を講じようと
人間のリスクは絶対なくならない
そしてこれが一番怖い

どうしても今の自分は人間の可能性に関して
楽観的に見ることができないでいる
それが杞憂であればいいのだが




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拡大解釈

2013年11月05日 19時14分02秒 | あれこれ考えること
「てにをは」の適正使用、及び作文能力
その作文にはどんな可能性が組み込まれているか
それを想像力を駆使して注意深く監視していかないと
新しく出来そうな法律は危なっかしい

つまり秘密保護法案のこと
ひと通り読んだだけでは国を守るため
当然のことのように思えたりする
ところが、読む人が読むと
(隠れた意図を推理する力のある人が読むと)
結構拡大解釈が可能なようで、
一旦拡大解釈の例が出来てしまえば
後は前例主義に則って続けていってしまうだけになってしまう

復興予算の使い道にしたって
法律文のある箇所を拡大解釈をすれば
なんだって使えるようなことになっていた
そこには被災地の復興に使うといった常識は存在せず
法律違反していないと言い切ってしまう官僚や政治屋が幅をきかしている
(そこに後ろめたい気持ちは感じないらしい)

そもそも法律文は拡大解釈への想像力を持たないことには
役に立たないのかもしれない

補助金の申請書類などは真面目なものはさておき
残りはこじつけ・拡大解釈のオンパレードなんてことは少なくない

そもそも法律は作文の際に拡大解釈を前提にして
書かれているのかもしれない
その行間を読み解けるのは同じ仲間内だけ

だから良心的な官僚・政治家だった人にできる限りの拡大解釈の
危険性を提示してもらわないと
いつの間にか懲りたはずの過ちを繰り返すことになってしまう

知らず知らずのうちに
これが一番怖い
ナチスもヒットラーが出てきた時は
自分らでコントロールできると感じていた国民が多くいたらしい
それがいつの間にか、、

日本人の「右向け右」が国民全体に広がってしまう傾向
(否定はしづらい雰囲気も充満して)
これは個々で勝手なことを言ってるより始末におえないかもしれない

とりあえず、96条の改正・秘密保護法案の隠れた意図・拡大解釈の可能性は
ちゃんと見守っていかないと未来に責任を持つことにならないかもしれない
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