パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

才能(柿谷)

2016年03月12日 20時59分37秒 | サッカー

久し振りにセレッソの8番を見た(対群馬戦)
今年の8番は柿谷
せっかくのヨーロッパの参戦(バーゼル)は
残念ながらうまくいったとはいえない
チーム内競争が厳しかったのと、フィジカルの面での工夫
そして結果を出すことへの貪欲さ、それと守備力が問題かなと思われる

J2の試合なのでスカパーで見た
最初見た時は骨格が以前よりゴツくなっているような印象
でプレーは?

相変わらずのところもあれば、少し進歩したように見える所もある
以前日本にいた時のワントップではなく、もうすこしボールに触れる位置が
今年のポジションになっている
ボールを持つと上手い
というか細かいところも通すしタイミングがつかみにくい 
でも多分香川や清武と比べるとまだミスが多い
それと守備に回ると相手からボール奪取という感じではなく
コースの限定だけだからいまいち迫力に欠ける

しかし、今日のびっくりするような左足バックヒールキックの
誰もわからないタイミングのシュートを見ると
才能とは何かを感じてしまう(結果はセレッソ1-0群馬)

サッカーのような点の入らないゲームでタッチ数も多くないなかで
点を取ってしまうということは、そういう運命というよりは
才能だと感じる

今日も杉本は決定的なチャンスがあった
前の試合もあった
しかし決めていない
惜しいシュートを撃つ選手はどのチームもいる
しかし実際に点を採る人となると限られる

プレーを画面を通してみると、ボール扱いの柔らかさが違う
ひところの小野に似ているかもしれない
そういえば守備の弱さ、運動量の少なさ、
プレーの見極め(諦め)の早さも小野に似ている
でも、お金を払っても見ると面白いと言うか、なにかプロとか
絶対真似できないものを見るとするなら
こういう人だろうなと思ってしまう

今日の試合、群馬はまずまずだった
しかしあの奇抜なシュートの毒気にあたったというか
ショックが勢いをくじいたような気がする
実際試合を決めるそういうシュートはあるものだ

本当は柿谷にはもう少しミスを少なくしてほしい
そして、守備を気まぐれにスライディングするよりは
相手との間隔を短くとってボール奪取を試みてほしい

しかし、そうなると良さを消すことになるかもしれないから
サッカーは難しい
確かに見ていて面白い選手なだけにさらなる進歩を望みたい
もう若くないのだから
彼はクルピ監督が求めた結果を出し続けることに昔より
貪欲にならねばならない
それはチームの為に守備をするといったものではなく
自分の持ち分の得点するとか絡むという点で

ところでサッカー三昧の土曜日
先ほど見終わったグランパス対フロンターレ
小倉監督の選手交代のタイミングがミスった感じ
(グランパス2-3フロンターレ)
守りの態勢の時に替えると緊張が途切れて失点することが多いが
まさにこのパターンだった
小倉監督は経験とすることができたか 


 

 

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英語の百人一首

2016年03月11日 18時23分05秒 | 

前回は小野小町、今回は清少納言の話題を交えながら京都を紹介した番組
BS-TBS 高島礼子・日本の古都 ~その絶景に歴史あり~ 

京都は深い  飽きない
こんな風に歴史を知るとまた行きたくなる

ところで清少納言の枕草子
少し前に、春はあけぼの
秋は夕暮れ、冬はつとめて と覚えていたが
夏は何だったかな?と思ったが浮かばない

それで文庫本を買ったのだが、ついでにいろんなところを読んでみると
(もちろん現代語訳)結構面白い
イケメンの男が人気があったり、坊さんが忙しそうでいい加減な経を読んだり
服装がどんなだったり、、
つまりいつの時代も同じようなものだと感じさせるところが沢山ある

また拾い読みしようかと本棚をゴソゴソしてるとこんな本を見つけた

百人一首を英語訳したもの
これも結構面白い
ちなみに小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」は
こんなふうになっている

A Life in vain.
My looks,talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze our upon,alone

in vain とかaloneとかなんとなくニュアンスは分かる

小野小町の隣のページは蝉丸の「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」
はこんな感じ

So this is the place!
The crowds,
comming
goinng
meething
parting
friends
strangers,
known
unknows-
The Osaka Barrier

なんだか英語のほうが分かるような気がする

ところで、枕草子「夏はよる 」だった
いとをかし!
なるほど 

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表現の仕方(保育園落ちた日本死ね)

2016年03月10日 08時37分20秒 | あれこれ考えること

それこそ一気に拡がった匿名ブログの「保育園落ちた日本死ね」の話題
申し訳ないが、当事者の世代でない自分は、最初何のことかわからなかった
で、話題のブログを読んでみると、言いたいことは分かった
でも自分の感覚からすると少しばかり過激な表現

問題は、この様な過激な表現でなかったら
果たして今回のように拡がったかと想像してみると
もしかしたら、それほどではなかったかもしれない
投稿者がどのくらい意識してこの表現をしたかどうかは
わからないけど、この過激な表現のおかげで(?)話題になったのは
多分間違いない

そこで思い出したのがジョン・レノンとオノ・ヨーコの
ベッドインパフォーマンス
映画イマジンの中でジョン・レノンはセンセーショナルな形で
反戦パフォーマンスを行うことにより、より世間の関心をもってもらう
事ができるので、こういう機会を設けたといった旨のことを述べている

既に十分すぎるほど有名な活動家であっても
なおかつ効果的に行うためには、そのテクニックとして過激な活動をする

今回の場合はそれに該当するかどうかは分からないが
残念ながら人は穏やかな表現では心に響かないことが多いかもしれないのは事実
物事を理解するには全く反対側の意見をしっかり聞くほうが
両方の意見をうまく問題を解説してくれる人の話を聞くよりもわかりやすくなる 

それになぜか褒める言葉より悪口のほうがストンと心に侵入してきたりする

現時点ではこのきつい表現による問題提起はうまくいったと解釈して
これからは実態の把握(一部の都合の良い数字の羅列ではなく、
何よりも実感を伴いそれを反映した数字)をして、何をすべきかを
お役所の仕事の価値判断ではなく、生活者のレベルの判断で納得できるものに
してもらいたいものだ
(お役所は結局なにかあれこれ言い訳をするから
 誤魔化されないようにしなければ)

それにしても、生活者の実感が反映されない政治・施策は何故なんだろう


 

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投票に行かなかった人の意見(今更ながら)

2016年03月08日 20時16分48秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市では昨年5月に新庁舎建設の見直しに関して住民投票が行われた
それがとんでもなく妙な選択肢で、自分はそれに腹を立てて
今に至っているが、今日はそれはさておいて
問題となったのは、投票に行かなかった人の意見の解釈について

行かなかったのは、行けなかった(病気、足がない)関心がない
住民投票に意義を感じていない、どちらに入れていいか分からない
まだ他にあるかもしれないが、おおよそこんなもの

住民投票の勝利をおさめた側の意見を採用するが
負けた側とこのように行かなかった人たちの意見も
取り入れて(解釈して)見直し案に反映させることが民主主義だと
市長は口にした

少数の意見も無視することなく聞き入れることこそが
民主主義と言いたいのだろう
しかし前の市長選で庁舎問題が争点になった時
僅差で勝利したにも関わらず勝ちは勝ち!
と決して少数派ではない負けた人びとの意見を切り捨てている
だからこそ住民投票までなってしまった 

ところで、この行かなかった人の意見とはどんなものか
解釈の問題だからいろいろありうる
たまたま今日の市議会で市長は行かなかった人の意見を
「市長と議会にお任せ」 と解釈する旨の発言をした
ところが一方市長と対立する側は、行かなかった人の意見は
「住民投票で勝った方にお任せ」と解釈するほうが 筋と考えた

どちらが正しいか
法的な判断方法はあるのだろうか
ただ発表する権利とか力を持った市長は
自分の解釈こそが唯一無二の様に話し
いつの間にか広報にもその解釈が掲載され既成事実化されてしまう 

今更こんな問題をウダウダ取り上げるのは
この人のいろんな進め方がいつもこうだということ

話し合いの機会は設けます
でも何度もそういう言葉に裏切られた人たちは
結局は話し合いには応じてもらえないと判断せざるを得なくなる
そしてその行動を起こすと
今度は、話し合いの機会は設けているのにと批判する
でもそんなふうに判断せざるを得ない行動をしてきたのは誰なんでしょう 

ところで、前回の選挙戦の時の現市長の後援会のビデオ(youtubeだったかな)で
彼は自分の庁舎に関する選択に自信を持っていて(それはいいのだが)
スタッフの前で現計画を何処に行っても市民を絶対説得してみせます
それができない時は、、、 と言っていた

説得できた?
結果、住民投票になってしまったし、なおかつ自分の計画はノーの判定 

今日は市議会の中でやり取りで
少しばかり腹の立つことがあったので 文句を並べてみた
(大人げない?) 

 

 

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アリバイ作りに使われる?

2016年03月08日 08時20分27秒 | あれこれ考えること

先日の前松阪市長の講演会
しっかりメモを取っていたわけではないので
多少勘違いしているところがあるかもしれないが
気になったところがあった

それは行政の進め方
審議会、検討会(だったかな?)、パブリックコメント
この一連の流れは、アリバイ作りに使われやすいということ
つまり、キチンと段取りを踏んでいることを示しているが
それで手続き上は問題なしとされやすいということ
肝心な市民間の理解に及んでいるかどうかはわからない 

本来ならばパブリックコメントの内容に丁寧に対応すれば
大きな間違いは起きないはずだが、どうもパブリックコメントについては
それを求めたというか、どれだけの数が集まって
一応答えやすいものには答えたとすることで終了している 
(これは新城市の庁舎の時の話)

そして、昨日の市議会の小野田市議の「市の広報について」
の質問にあったように、せっかく職員が一生懸命やっても
市民間に情報が伝わらないのは何故か
それは単に技術的な問題か、段取りの問題か
ということになる

市民は多分、自分の問題となった時にだけ関心を持つ
どれだけ丁寧に説明の機会があっても、残念ながら情報は素通りする
そしてある意味では虫が良いことに、自分の目の前に問題が起きた時には
行政から説明を聞くのではなく、なにか苦情を言いたくなる

ところがこの苦情を発する機会がない
昨日の小野田議員の質問で、新城市は「お出かけ講座 」という
方法があって、わからないことを職員が説明に出向く
(ただしあまりにも少数では不可)システムが有るという、

このお出かけ講座は他の市も行っているようで
そこには
講座は学習の場であり、質疑や意見交換を行いますが、
苦情や要望等を受ける場ではありませんので、ご了承願います
 
とされているのが大半のようだ 

つまり、自分の苦情は表現する場所がない可能性がある
陳情や請願書などという方法があるというかも知れないが
それを多くの一般の人が知っているかは疑問

現実的には行政が開く審議会やら検討会で
苦情も含めた意見交換が行われるといいのだが
会が行われるときは、今日は先程の様に説明の場所であり
質問に対する答えはその範囲に収めるようにと釘を差されることが多い

初めて知った(知らない住人が悪い?)と思うようなことに
文句を言おうとしても、既に決まっていることです
説明を聞いて理解してくださいだけでは不満が残る

この不満をなくすためにパブリックコメントが
有効に利用されるといいのだが 現実は先程あげたとおり

これは新城市だけの問題ではなくて、
どうやらどこでもそうらしいので、特に新城市が悪いということには
ならないかも知れないが、言いたいことはステップを踏んだだけでは
市民の理解は得られない可能性があるということ


市民が気がついた時にはすべて決まっていたと
いうような印象を持たれないためには、
決めることのできるポジションにいる人が責任持って
庶民の考えそうな疑問を取り上げて十分に検討してもらうしかない
のかもしれない

少しまとまらない話になってしまったが(いつものように?)
段取りだけを踏んでいればそれで良いか
多少疑問があるということ
市民、住民が納得したという気分、雰囲気をどのように判断するか
その受け止める才覚がある立場の人には必要
(あまり面白くない話でした!)
 

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新城市議会を傍聴

2016年03月07日 19時12分41秒 | 徒然なるままに

今日から一般質問がスタートした新城市議会
傍聴に出かけたが、さすがにずっと聞き続けるのはしんどい

おせっかいにも(えらそうにも)少しでも新城市民のためにと思って
傍聴記録をアップしようと思ったが
晩酌を軽くやってしまってつい面倒になってきたので
別のブログをそのままコピペで誤魔化します

以下コピペ部分

市議会傍聴にでかけたことがありますか?
(自分は新城市民なので新城市議会のことですが)

そんなの面白い?
と聞かれると、面白いとは言いづらいです
まずは慣れるまでが大変、それに質問する人と答える側は
お互い内容がわかっているけれど、傍聴者には前提となる知識がないので
話を聞いているうちに想像力を働かして、あれこれ考えるしかないのです

でも慣れてくると、(少し慣れましたが)議員さんの実力、勉強の具合
熱意、人間性みたいなものが見えてきます
もちろんそれは個人的な判断ですが、
それは割合あたっていることが多いような気がします

それと、いろんなことが決まっていったり、
いろんな試みをしていることがわかります
あとで広報ほのかで書かれるようになることも
議会だよりで書かれることも、自分の耳で聞くとリアルに感じて
読んだ時には理解が深まります

今日は、村田議員、山崎議員、山口議員、小野田議員、長田議員
白井議員、それと加藤議員の順で一般質問が行われました

いきなり議員さんの評価ですが、独断でするなら合格は(いつも独断と偏見ですが)
小野田議員、白井議員、加藤議員の3人
(ある視点で甘いとの声が起きそうですが)
まずは熱意があった、勉強を良くしている
この三人は再質問という時も迫力があった
(ちょっとばかり白井さんは観念的なところがあったけれど
 バイオマスのところはよく調べられていた)
小野田さんは市の広報についての問題提起
せっかく時間とお金をかけている市の広報が結果としてうまく
市民に伝わっていないのは何故か?どうすべきか?
を熱ぽく問われた
質問が終わった後、拍手したかった(それは禁止されているのでできなかったが)
そして加藤市議の質問
これには少し困った
というのはこの質問は前提となる事実の正確な認識と法律的な知識が要求されるから
しかし、話を聞くうちに「庁舎建設に伴う物件保証」は
(新庁舎建設に伴う用地取得及び物件移転補償が、一部の権利者が所有している事業用地以外の
 物件に対して調査、保証している件)
外野から聞いていてもその経緯は不自然に感じた
市の税金が一部に不当に使われているのでは?と感じさせる何かがあった

議員さんは言葉で勝負(仕事)している人たち
そのスキルをアップしたり勉強を絶えずして欲しいと思うと同時に
一旦選ばれたから市民に信用されたり任されたりするのではないことを
自覚してほしいというのが、傍聴しての感想

そういえば、市長も先の選挙で選ばれたことを根拠に市民の声を聞いている
との判断のようだが、市民の声は変化しているのだから
随時、市民の声を聞くように、そして反映するようにしなければいけないのでは
いつも政治判断の一言での進め方は混乱の元
(もっとも、そんなことはないという人もいるでしょうが)

それにしてもティーズの市議会の視聴率 どうの位なんでしょう?
画面で見るよりはきっとライブ(現場)のほうが面白いと感じるのでは!

ここまで

ところで、明日は2日目
今度はまじめにアップできるかな? 
とにかく、議員さん、頑張ってください 

新城市以外の方には関係のない話でした
(市外の人は市議会議員の名前なんて知らないでしょうから) 

 

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賢い自治体は上限まで使わない(合併特例債)

2016年03月06日 07時56分43秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日、新城市の文化会館301会議室で、13時半より
市長リコール署名活動の報告会と新組織立ち上げの集会が行われ
その後で、とても興味深い前松阪市長、山中光茂氏の
「市長リコールからはじまる市民主役の まちづくり」と題された講演会が続いた

この山中氏もリコール経験者で、似通った体験の持ち主かと思ったが
若干違っていたようだ
(新聞でいい加減に読んでの思い込みはイカンですね)

講演内容は新城市にかぶることが非常に多くて
難しい(?)話でも会場に来られた方は興味深く耳を傾けておられた

それはとてもおもしろかったが、
その要約を白井議員がブログでまとめてくれているので
引用して紹介します

以下引用 

<要約>

 松阪市は、自分が市長になる前は、40年間で3回しか市長選がなかった。選挙が行われても、各種団体、議員などを動員したような選挙で、大差で市長が選ばれていた。一部の人間による市政、討論のない松阪市の流れを変えようと32歳の時、市長選に取り組んだ。この時の選挙も、全ての政党(自民党から共産党まで)は相手候補についた。勝てるはずのない選挙と言われていたが、最後には多くの市民が自ら支持を広げてくれ、市長に当選し、2回の当選を勝ち取った。

 自分の選挙は、ポスターも貼らず、お金をかけない選挙に徹した。しかし、市民との対話は徹底的に行った。市長になってからも市民との対話は徹底した。市長7年の土・日曜日は、地域の集まりに出ていった。賛成、反対があるのは当然で、いかに納得を得るかが大切。対話もせず、審議会、検討会、パブリックコメント、議会の議決と進めるやり方は最悪と思う。

私は、反対しているところへ足を運んだ。新城市の問題は、ここに集まっている多くの人の声を聞かないことだと思う。賛成、反対のコーディネーターになるのが市長、議会、職員だと考えている。結論を出す前に、オープンな議論を繰り返すべき。その議論の中で、市民にも役割と責任を明らかにした。もし、それをやらない市長であれば、そこが問題である。

 松阪市でも庁舎建設があった。市長になる前に、70~80億円の新庁舎(こちらの方向に軸足を置いていた)か35億円の耐震化かの議論がされていた。合併特例債を使う前提での議論だった。市長になって、職員からは、合併特例債の期限があると言われたが、合併特例債の問題点を理解していたので、合併特例債にこだわらず、議論を白紙に戻し事実を市民と共に検証した。専門業者の意見も公開プレゼンで競わせ、結果的に4億円の耐震化に決めた。

 合併特例債という魔物にこだわらなかったのは、合併特例債が市にとって良いものだと考えていなかったからだ。20年間で地方交付税に上乗せして返してくれると言うが、果たしていつどのくらい返してくれるかわからない。誰もわからないと思う。そもそも、一旦は市が借金しなければならない。次の世代へ借金を残すことである。地方交付税に上乗せしてくれると言うが、地方交付税の総額が決まっているのに、都合よく返してもらえる保証もない。市民合意の範囲で使うことは否定しないが、できるだけ、借金せず市政を行うべき。まだ旧タイプの市長は、「合併特例債は有利な借金」と言っているが、無責任極まりない市長である。現時点で珍しい市長であり、この考えでは財政再建もできないだろう。

 市の事業は、事業の必要性を基本にすべきである。予算枠配分方式にすると、予算を使い切る意識になってしまう。まちづくり協議会にも役割と責任をもってもらうために、予算措置も行っている。一律ではなく、努力に応じて配分している。格差がでることもあるが努力の差と考えている。しかし、決める前には、市民と行政が何回も対話を行っている。私も同席してきた。

 とにかく市長7年間で大切にしてきたことは、市民との対話である。議会はオール野党だったので、23回の否決があった。1番の否決の理由は、市長の提案の主旨が理解できないから、2番目は、市長の思い入れがある提案だからというものだった。市民の声は関係なく、納得できないことが多かった。「何々を認めれば、あれは通してやる」などの取引が議長・副議長から持ち込まれることもあった。市長は、2期8年でやめると決めていたので、辞職しようとした。市長が辞める必要がないと考えた市民が、議会リコールに動いたが、数千の署名が足りず議会リコールは成立しなかった。自分が、議会リコールを主導したわけではなく、議会の問題を理解した市民自身が動いた。議会リコール不成立を受けて、市長7年に幕を引いた。

 今日の集会で新組織が動き出すことになるが、反対の人との対話をして欲しい。誰でもが理解できるように事実を伝えて欲しい。市民運動を政治運動にしてしまうと、市民へ広がらない。新城市民の今後の取組に期待する。

以上。

正直、うらやましいです
質疑応答の時間に「新城市の市長になってください」という声が出ましたが
まさに実感

本当はこの講演会に多くの市議、行政関連の人、市長も来て欲しかった

ところで、耳にタコができるほどきいた「合併特例債」
これは講演の中でも紹介されているが
一番記憶に残っているのは
「賢い自治体は合併特例債を上限まで使わない」という指摘

合併特例債は新城市に限れば庁舎建設だけに使われるのではなくて
まだ他のものにも使うことができる
新城市の合併特例債の上限金額は170億円(多分このくらいだったと記憶しているが)
ところが、使えるからといって上限金額まで使ってしまうことになったら、、、

上の白井議員の要約にもあるように、お金が戻ってくるといっても
地方交付税に上乗せして20年かけて返って来る
しかし地方交付税の枠が決まっているので都合よく返って来るか誰もわからない
それに、この金額は合併特例債のお金ですよと名前が書いてあるわけではない
そうなると人の常で、入ってくるお金は収入として計算して(借金の返済額なのに)
それを前提に予算組してしまう 
すると、、、、

この気前よく合併特例債を使うと危ないということは
以前にも紹介したが、改めてその思いを強くした

合併特例債を使うな!というのではなく
まずは本当にその事業が必要か、他に方法はないのか
その金額が妥当か などなどを市民合意の上で行うのなら
有利なシステムだから使うのはやぶさかではない
選ばれた人物だという過去の事実を根拠に「政治判断」の一言で
決める政治を行われては少し困る

それが証拠に、その政治判断が少し違ってるのではないかと
住民投票にまでなったし、まして住民投票の結果も最初に下した
政治判断にノーと言っている 

市民自治という言葉が抽象的に使われるが
現実に各地(南部の産廃の問題とか)の声を
まずはしっかり聞くことが基本なのではないか

ところで、新組織、勉強はキチンとしていかなければならないが
眉間にシワをよせながら難しいことを、、、ではなく
座談会のようなもっと良い意味でゆるい 感じがお薦めと
山中氏も述べられていた
ゆるい感じは自分は得意とするところ? 

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バーンスタインのブルックナー9番

2016年03月05日 21時37分13秒 | 音楽

バーンスタインといえばマーラー
そのブームの火付け役として名高いが
同時期にブームになったブルックナーの交響曲のCDは
9番しか残していない

昨晩、シューリヒトの指揮する9番の3楽章を久しぶりに聴くと
こんなに速いスピードだったのかと驚きを感じるとともに
こんなに速くなくてもいいのではないかと思い
今度は遅い方の大家チェリビダッケを引っ張りだして聴いてみたら
同じ曲でも6分ほど演奏時間が違う 
やっぱりゆったりと音楽に身を任せる感じのチェリビダッケのほうが
好きかもしれないなどと思ったら、今度はバーンスタインの演奏は
どうだったのかなと気になって今朝聴いてみた(3楽章だけ)

バーンスタインが9番だけ録音を残したのはこの曲に何かしらの思い入れが
あったのかもしれないが、今朝の自分のコンディションでは
残念ながら楽しむまではいかなかった

響きに意味を持たせる行為はしているが 
共感、響きに身を任せるということが無いような気がして
ブルックナー好きとしては、またこれは
しばらくは聴かない演奏かな

土曜日、お気楽な投稿でした

 

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去年と同じ(庭の花)

2016年03月04日 19時15分02秒 | 徒然なるままに

Facebookには親切と言うか、ちょっとばかり鬱陶しいサービスがある
何年前の今日は、何々してましたよ!とわざわざ教えてくれる

今日は、去年はこんな画像を取り上げていたとのお知らせ

慌てて庭の花を見に行った
すると、今年もこれとほとんど同じ状況だった
なにか冬芽が出てるなとは思っていたが、ここまでとは気づかなかった

植物には毎年驚かされる
ほとんど同じ時期に同じように花が咲いて、新緑になって
花の名前はほとんど知らないが、健気だな!と感じる

健気だな!と感じるのは昔山に登っていた頃
やはり名前を知らなかった大きくなれない高山植物を見た時もそう
必死に生きようとしているみたいで、、
 

でも花の名前は覚えられない
この画像の花は確か「ウグイスカグラ」だった思うが、、、 

自分は実は花より葉っぱ、新緑が楽しみ
自分の生まれた季節(5月)のみずみずしい
葉っぱの赤ちゃんような柔らかい葉っぱ 
庭の木の新緑は毎年4月20日頃始まるが、
今年は温かいから少し早くなるのだろうか? 

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上巳の節句

2016年03月03日 20時11分27秒 | 徒然なるままに

3月3日 桃の節句
晩ごはんは何にするか迷わなくて済んで
家人は助かったと言ったところ

へそ曲がりな自分は単に桃の節句を取り上げるのではなく
これに関係することを少し

土方歳三は豊玉発句集という俳句集を残している
(ひところマイブームだったが)
その中に あるのが

井伊公君 ふりながらきゆる雪あり上巳こそ

桜田門外の変をうたったもの そして上巳とは桃の節句のこと
もちろん現代の暦ではないから、今日のことではないけれど

はじめは上巳とはなにかわからなかった

この歌のおかげで桜田門外の変は桃の節句の日に起きたのだと
記憶に残った(年号は覚えていない)

旧暦を今に直すともっと遅い時期になるのだが、よくそんな時に雪が降ったものだ
そういえば忠臣蔵の討ち入りも旧暦の12月14日は新暦では1月の後半
西行の「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃 」も旧暦なら何となく分かる
今はなんでもかんでも新暦に当てはめてしまっているが旧暦のほうが記録に残された気候にしっくり来る

ところで土方歳三の俳句
あまりうまくないというのが定説になっているが、
それでもわかりやすくて好きというか、わかるなあ!と思えるものがある

春の草五色までは覚えけり

朝茶呑みてそちこちすれば霞なり

春の夜はむつかしからぬ噺しかな

春雨や客を返して客に行

うぐいすやはたきの音もつひやめる

もっと有名なのはあるが個人的にはこんなおおらかな
普通の風景をうたったものが気に入っている

こうした俳句から想像すると
歳三さんは精神的にいろいろ無理したんだろうな
とつい思ってしまう

ところで土方歳三は「燃えよ剣」ではなくて
島田魁日記に書かれた姿が好きだ
どうでもいいことだけど 




 

 

 

 

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