興味ある調査を目にした
先日のアカデミー賞授賞式のウィル・スミスのビンタについての
その評価についての調査だ
年収ごとに区分したところ、高収入の人たちは大半が彼の行動を
受け入れがたいとした
一方比較的収入が低い人達は彼に対して同情的でパートナーを
守るためにはやむを得ないという声も多かった
年収によってこのように考えかたとか感じ方が違うのは
以前読んだブルデューの「ディスタンクシオン」にも
膨大な調査から明らかにされている
音楽の好みもクラシック音楽ではチャイコフスキーの「白鳥の湖」と
バッハの「フーガの技法」は年収人よってその評価に大きな違いがある
絵画も抽象画は高収入の人々に高評価で、低収入の人たちはわかりやすい絵が好まれている
家具の選び方も随分好みが違う
古くても質の良いものを好むのは高収入層、はやりのものを選ぶのは比較的低収入層
また小説等の評価も高収入層は、小説の構造等に関心があり、
他方は感情的なものに心惹かれるようだ
ブルデューの調査はそれにとどまらず学歴による違いも明らかにした
高学歴の人の好みと低学歴の人の好みの違いだ
だが高収入層は高学歴を確保しやすく、そこには相関関係が見られるようだ
人の感じ方とか考え方は個人の自由といいうものの
現実はこのように年収によって随分違ってくる
感じ方考え方のもととなるのは日々の暮らしの体験だ
その体験も高収入の人は演奏会や展覧会に頻繁に行けるが
余裕のないひとはそういうわけにはいかない
そして、そこでの体験の差が感じ方や考え方の差となってくる
親ガチャは単に経済的な面からの見方だが、このように体験の差による
考え方を生み出してしまう格差はやはり良くないと思わざるを得ない
ということで、格差は良くない
富の分断は体験量の差を生み、また情報量の取得の分断も生む
それはもはや自己責任のレベルを超えていると思う
最低で文化的な生活、、この基準をどう考えるか、、
お金の視点からだけでなくトータルに考えないとまずいと思うこの頃
彼(小川淳也氏)はシンプルに訴えた
「現在のプーチンの暴走を生んでいるのは、長期政権のせいだ
そしてそれが維持されているのは対抗勢力としての野党が存在しないからだ
更に情報がコントロールされきちんとした情報が伝えられていないからだ」
これはロシアの外にいる我々はさほど苦労しなきてもわかる
そしてこうした独裁の形態はロシアだけでなく
どの国も同じような歩みをすることも知っている
ところが、そうした状態に自国(日本)がなっているかもしれない!(なりつつある)
と想像することはとても難しいかのようだ
日本とロシアは違う!と単純にそう思っている人が大半だろう
しかし、本当に違うのか?
自民党の総裁任期は延長されたし、マスコミの報道自由度はどんどん低下してるし
北海道警が安倍さんの街頭演説中にやじを飛ばした人間を過度に拘束したり
つきまとったりした
これは流石に裁判で法律違反、賠償金を支払うよう!と結論が出たが、道警は控訴した
また文言は破棄されたようだが、反政府デモは危険なものとしての扱いとする
政府内部の方向性が一時的とは言え表に出るようになった
人は何から学ぶのか?
と考えると、一番は自分の経験だ
だが自己の経験はその絶対量に限界があるので、それを何らかの形で補わなければならない
その補うものに役立つのは想像力とか歴史だろう
歴史は自国のそれだけでなく、他の国の人が犯した失敗や被った被害もそうだ
良い人も、いつまでも良い人ではいられないかもしれない!
こうした現実的な考え方は、長期政権をさせない制度としてどの国もあるのだが
いつの間にかそれは崩されていく
民主主義は結局は少数者の支配に行く着く、、、
というのは今のところ我が国でも見られることだ
歴史からまた海外の情報から学んでいけば、日本がこのままでいいはずがない(と思う)
だがその気づきに至るのが(至らせるのは)なんと難しいことか
不安にまかせて愚痴ってみた
サッカーワールドカップの対戦相手が決まった
日本はE組で、ドイツ・スペイン、そしてニュージーランドとコスタリカの勝者が相手だ
なんてこった!
えらく困難な相手に当たったものだ
リネカーは「サッカーは22人がボールを追いかけて、最後にドイツが勝つゲームだ」
とこぼしたくらい、どのチームもあたりたくないのがドイツだ
ドイツは一対一で負けない、相手より多く点を取る、試合はホイッスルが鳴るまでが勝負
を徹底して行える厄介なチームだ
それにドイツはやられた相手に倍返しのようにリベンジするチームで
日韓ワールドカップの時、決勝で破れたブラジルにはブラジル大会で大量の得点差で
ブラジルを叩きのめした
メキシコ大会の勝者アルゼンチンに対してもやはりリベンジを果たしているし
因縁のイングランドにもやはりリベンジしている
とにかく勝ち切るのが難しいチームだ
勝っていてもヒタヒタと押し寄せる迫力は不気味という他はない
スペインは強いときは手の打ちようがないほどなんともならないが
ラテン系の特徴か時々ポカをする
それを期待すればドイツよりも戦いやすいかもしれない
スペインと戦うのは第3戦で、その時までにはスペインの調子はわかるだろうが
この組の日本の希望的な予想は、1勝1敗1引き分けで
勝ちはプレイオフのチーム、引き分けはスペイン、勝てないのがドイツ
これが妥当なところかもしれない
ワールドカップは思い切り現実を目の当たりにさせられる
点を取れないと勝てないという事実(ストライカーがいない)
シュートは落ち着いて行うという癖
パスの精度の問題、勝負を諦めないという戦う気持ち
これらを再確認しなければならないのは少しばかり残念だが、
それでも肌で感じる経験はその現場を経験したことの無いチームよりは
一ランク上に行ける可能性を持てる
気になったのがお隣の韓国で
H国はポルトガル、ガーナ、ウルグアイが対戦相手だ
ポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドがいるし、
ウルグアイも南米らしくしぶといしスアレスがいる
結局のところ、どの組も楽に勝ちあがるのは難しそうだということで
勢いとか運に恵まれることが必要なんだろう
それにしても日本の問題はやはり得点能力だろう
ずっと抱えている問題で、どうすれば解決できるか
これは協会が必死になって考え、方針を決め、訓練していかねば解決できるとは思えない
日本にストライカーが出ないのは社会の構造やらメンタリティのような気がする
そもそも全世界的にストライカーは変人が多い傾向にある
変人をその才能故に許せるか?
と考えると日本はどうしても型に入れたがってしまう
ヨーロッパで戦っている日本人選手はステップアップするには
個人の能力アップしかないと実感している
その思いを日本にいるサポーターが全員共有化できればいいのだが
残念なことにマスコミはわかりやすいコピーで選手を甘やかしてしまう
となると、強くなるにはサポーターの意識
マスコミの伝え方も考える必要があるということ
それにしても強い相手と真剣に戦えるのはとてもいい機会だ
戦うのはスポーツの場だけにしてほしいと切に思う
「ドライブ・マイ・カー」の受賞より大騒ぎになっているのがウィル・スミスのビンタ
セレモニーの真っ最中に司会者の頬を思い切りぶっ叩いた事件だ
その経緯は明らかになってきたが、ウィル・スミスの奥さんの脱毛症を
誂われたと感じた夫のウィル・スミスが司会者に怒りの鉄拳をあげたとのこと
フト、これに似た日本の事件を思い出した
江戸城、松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介の切りかかった有名な事件だ
なぜ浅野内匠頭が急に切りつけたのかは、実ははっきりした理由がわからないらしい
吉良上野介に常々お金を要求されていたが(よくあることだったらしい)応えず
意地悪をされていたとか、接待の手順をちゃんと教えられていなかったので
怒りを覚えたとか、浅野内匠頭の家系に切れやすい傾向があったとか、、
いずれにせよ、しなければよかったことをしてしまった事件だ
このあと浅野内匠頭は切腹、そして赤穂藩は取り潰し、
一方何らかの理由で切りつけられた吉良上野介はお咎めなし
この不公平感はもやもやが残り、その時代の価値観とか雰囲気からすると
何もしないではいられないということで、例の討ち入りに至る
本当の話はよくわからないが、フィクションとしての歌舞伎の忠臣蔵はよくできた物語で
お涙頂戴的な要素とか劇的なところがあって、心情的に赤穂の人たちを応援したくなるようだ
今回のアカデミー賞での事件の終着点はどうなるのだろう
現実としての暴力行為を咎めるのは当然と思われるが、その心情についてどのくらい考慮されるのだろうか
殴る行為は確かに暴力だが、言葉は暴力にはならないのだろうか?
司会者が夫人を傷つけたことに気がついていなかった可能性もあるが
傷つけられた方は一気に頭に血が上るというのは理解できないことではない
(その後の行動は別として)
実は日本人が好きな忠臣蔵は自分はそんなに好きではない
いくら本懐を果たしたと言え、結果的に47人もの侍の命を奪うことになっている
目的を果たすまでの大石内蔵助の真面目さ(浅野内匠頭から受け取ったお金の出納帳をつけていたとか)
藩が取り潰しになるときには、藩のお金の配分を下級武士に厚く配ったとか
とても人間的なところは尊敬に値するが、どうしても大量の死を招いたことはやりきれない
また結果的に吉良側の守りの人間を殺傷していて彼らも犠牲者だ
あの時代の価値観を無視して今の感覚で批評するのは良くないとされるかもしれないが
それでも、嫌だな、、と思えてならない
日本の例からすれば、ウィル・スミスはアカデミー会員の失格、賞の取り消しとなるかもしれない
カッとしたことでいろんなことが起きてしまう
怒らないことに越したことはないが、人間はそう理屈通りに動くとは限らない
なんだかこれも気の滅入る話(テレビではいいネタとして騒いでいるが)