本は読まれるべきタイミングがあるようだ
購入したものの積読状態だったウンベルト・エーコの「永遠のファシズム」を
ロシアのウクライナ侵攻で気分的に落ち込んでいる今読み始めた
○戦争を考える
○永遠のファシズム
○新聞について
○他人が登場するとき
○移住、寛容そして堪えがたいもの
この5つの比較的短い章からなる読み物は、1997年に出版されたが
タイトルを見ればわかるように今日的な意味をもつ
「永遠のファシズム」は「帰ってきたヒトラー」(Er ist wieder da)
と似た世界観を(悲観的な)感じさせる
そして今日的な意味は、社会の空気・兆しは過去の歴史とか経験を
踏まえていれば最悪の状態は防げる可能性が高いことを訴えている
(兆しの例が幾つか列挙されているが、危険な兆しはいつの時代も
どの場所でも似ている)
最近は共通の認識としてあるのは
長期政権は危なっかしい
メディアのぼんやりとした支配の危険性
生まれた場所(国)で全てが肯定される危険性
社会と個人の利益が異なる場合の優先順位の付け方の危うさ
正直なところウクライナのことを考えながら読んだのは事実だ
だが、次第に考えるようになったのはこの国のこと
ここに書かれている兆しはこの国には既に存在していないか?ということ
囲碁でも将棋でもプロの棋士は、ハメ手のような誘いの手には
直感的に違和感を感じて回避する
それは経験と研究の成果でそれに基づく直感は効率的な選択方法だ
だが素人はその手は検討に値しない手とは考えずに、誘いに乗ってしまう
つまりは、知っている人と知らない人は対応が違うということと
直感の働きも大きく違うということだ
社会に対する不安も過去の失敗の歴史を知っている人は
今の日本に対しそれに近い状況を今感じ取ってしまう
この不安を共有化するのは残念ながら非常に難しいようだ
結局のところ、社会は少数者の支配で成り立っているのと同じように
なにかに立ち向かうのも少数者の力に頼るしか手はないのかもしれない
なにかに気づいてしまった人は、多分それなりの責任があるということだろう
さて、ここまできて自分は何をするべきか、、、
それがわからない分、イライラが募ってしまう