パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

東大新入生へ祝辞のニュースを見て!

2022年04月13日 09時51分04秒 | あれこれ考えること

今の時代、何が正しくて何が間違っているのかを把握するのは難しい
一般論からすれば対立する案件はそれぞれの立場からの理屈やら
情報を得るのが正しいとされる
だが、それは時として受け入れられない考え方になるかもしれない

ニュースで見かけたものに、東大新入生に対する祝辞のあいさつに
NHKのオリンピック反対のデモに関して肯定的な立場とは言えない
映画監督の河瀨直美氏のそれがあった

見出しには「ロシアが悪いと単純化するのは良くない」みたいな内容で
直感的にこの内容は全文を読んでからでないと誤解を受けそうな印象を持った
実際のところ、ツイッターには彼女の発言を否定的に捉えるものの少なくなかった

そこで試しに全文が載っている記事をざっと読んでみた
するとそれは新入生に向けての今後参考にすべき考え方とか感じ方を述べているものだった
自分が初めてカメラレンズを通して見た世界のリアリティとその驚き
人はその背後にある何かを探らなければならない、、
そのためには自分を信じ、そして同時に疑わなければならない、、とする考え方で
今回の例で言えばロシア即悪!とするのは間違いで
自分たちもロシアのようになる可能性を否定し得ないとする考え方で
それは一般論からすればまともな考え方だ

しかし、残念ながら彼女はNHKの放送でどういう人物像かというイメージができつつある
オリンピック反対に否定的な立ち位置、政権よりというイメージだ
だから彼女のあいさつを全文読むことなく、彼女の発言は全て受け入れられない!
と考える人も出てきてしまう
そしてその即決の判断は多くの支持を受けてしまう

確かに一般論として正しい発想の仕方かもしれないが、今の時期にロシアを例に出すのは
適切でなかったかもしれない
もっと違う例で、両方からの情報を得るべきと言えば受け入れやすかったかも知れない

結局のところ話の内容自体でなく、属性(おかれている立場)でその人物の考え方の
良し悪しも決まってしまうのだ
その極端な例が人格否定までになってしまう

しかし人は感情の生き物、一般論のあるべき論で時を過ごせるわけじゃない
むしろ時として不合理な行動を起こしがちだ
戦争などの非常時には憎しみの感情は抑え難く
やられたらやり返したい、、という気持ちの存在は多分誰も否定できないだろう
日本の江戸時代は仇討は一代に限り許可されていたようだ
このように制限をつけないと永遠に憎しみは続いてきりがないからだ

話は飛んで、以前フーコーの「監獄の誕生」を読んだ時
印象的だったのは、有名な監視委員からは見えるが囚人からは見えない
円形の監獄ではなくて、これでもか!と紹介された死刑とか罰の残酷さだ
例えば、囚人の左右の足首に紐をつけその先を馬につなぎ合図で反対方向に馬を走らせる
といったような気持ちが悪くなりそうな話があって、人はどこまで残酷になれるのだろう
と落ち込み込みそうになった

人はどこまで残酷になれるか、、を実験したのはアイヒマン実験とされるミルグラムの実験だ
被験者は正しい役立つ実験をしていると思わされる
その被験者は、ある人物が問題の答えが間違うと電気ショックを与える役割をになっている
その電気ショックも徐々に強くなっていく
この実験を仕切る人の命令にどのように従っていくかなどの、
命令に従う心理をえげつなく確かめた実験だ
戦争の今、現地にいる非人間的な環境におかれた人は
いったいどのようなことをなし得てしまうのか!
残酷な命令でも従ってしまうのは心理的・統計的に仕方のないことなのか

組織論としての命令に従うシステムと個人としての倫理観
個人の総合が社会とか組織ではなくて、社会とか組織はそれ独自の動き方をする
その時の個人は、いったい何を拠り所に行動するのだろうか

おそらく人の中には悪魔的な要素と天使的な要素が同居している(と思う)
大切なのは良い部分が多く現れるようになることだ
どうすればこの確率を上げることができるようになるのだろうか

本当に毎日の戦争のニュースは気が滅入る

コメント
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