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【京都幕間旅情】藤森神社-紫陽花祭,神功皇后三韓征伐戦勝記念し造営の社殿は子供たちの活気に包まれる

2024-07-10 20:00:53 | 写真
■藤森神社-紫陽花祭
 梅雨時の晴れ間と云いますか曇天の中をちょっとだけ空き時間と併せて京阪電車に乗りまして藤森神社へ。

 紫陽花祭があるということで、ちょっとお邪魔しました。近所の方はうどん無料券が配布されているという事で、興味があったのですが、うどん云々は別として学区の小学校から紫陽花見学に社会見学が延々続いていて、活気が心地よい季節になったものだ。

 藤森神社、伏見区深草鳥居崎町の、というよりも京阪本線の藤森駅がありますので、だいたいこのあたりかなあ、という事は分かってもらえるような一角で、神社仏閣は意外遠いのですが、多くが鳥羽伏見の戦いで戦災に遭った為、新しい社殿が多い一角で。

 鳥羽伏見の戦いの主戦場からは、何しろその名の通りの鳥羽街道駅も近いのですが、本殿は中御門天皇より下賜された御所の賢所が使われているという、つまりこの一角が鳥羽伏見の戦いの戦災を免れたところであるわけで、長いながい参道は心休まる。

 蒙古塚、しかし心休まるとは表現したものの、これは子供の頃の強烈な印象というのが何十年も人生観に影響するものなのだという一つの例でしょうが、境内に蒙古塚というのがあって、此処の事だと思うけれども、此処と、そして東山の将軍塚は苦手なのだ。

 白山神社なんかも、京都の中京にある白山神社はそうでもないのにほかの白山神社、加賀の白山神社も含めて近づきますと若干頭痛がしたりしまして、この地域は苦手意識があります。蛇の神話への苦手意識なのか、これは大昔、泉鏡花を読んで漸く理解して。

 蛇の信仰というのは要するに山間部の水害の歴史と重なる部分がありますから、夜道に山沿いの道を通って空気の気温の境界がうっと来て、これ、知らない人は心霊現象と勘違いするのだろうけれども、水害の多い地形は温度層の違いがあるのだろうなあ、と。

 三韓征伐、泉鏡花は海神別荘を読んでようやく白山の歴史へ片鱗をつかんだのですがこれは閑話休題、そもそもこの藤森神社というのは神功皇后の三韓征伐戦勝を記念して造営したものといいまして、その創建は神功皇后摂政3年こと西暦203年に遡るという。

 伏見稲荷大社が近い藤森神社ですが、歴史的には三韓征伐が先である通り、伏見稲荷大社は後に来た社殿であり、実際氏子衆は伏見稲荷大社の周りにも居住し神幸祭では武者行列が神輿と共に伏見稲荷大社付近を練り歩き、神輿は伏見稲荷大社の境内に入る。

 武装して伏見稲荷大社に入れるのはウチくらいやで、どや?とは友人の一人の言うところ。申し訳ないが陸自迷彩に89式小銃のエアガンと鉄帽に戦闘防弾チョッキの冷却パッド入りレプリカでは参加できないという事なので、丁重に辞退した訳なのですが。

 蒙古塚、というのは怖いなあ、という印象を昔もった、実際鉄製の武者人形まで置かれていて、初めて行ったのは夕刻だったような気もするが忘れてしまったなあ、ここ、あまり、というよりも苦手、という認識ができてしまったのは前述のとおりですが。

 神功皇后の三韓征伐に由来があって、日露戦争戦勝の記念碑やいろいろなものが鎮座しているものですから、ちょっと、多感な時期に行ってしまったのがそういう印象を受けたのかもしれない。ただ、令和時代の多様化の時代でも大切にされている社殿です。

 多様化が行き過ぎますと、いまでは靖国神社が不逞中国人によりスプレー落書きされた事件がありましたが、こういう歴史を湛えた神社でさえも標的にされてしまうのかなあ、と危惧するのは考え過ぎなのか、考えない事こそ平和ボケということなのか、と。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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