「話せばわかる!」。そう信じて、気おって出向いて行って失敗したことは山ほどある。理屈を通そうとしても通らずあきらめたことも山ほど。人は各々の生育史を背負っているので、違って当たり前、通らなくて当たり前と気がついたのは、意外と年をとってからだ。ちょっと陽明学を読んで、気合いを入れても、無理なものは無理であった。
ただ、自分の感情・体感の現実も含めた、本音・真実をうまく表現できたら、もっと結果が違っていたのにと最近思うようになった。利害関係(普通大なり小なりある)があると、本音も言いづらいのは判るが、不思議にも本音を主張すると、周りも自分も幸福になることがある。魂の叫びといったらよいか、何か違うのだ。
自己主張がうまくなる。これは厳しい修行の世界かもしれない。ただ、この自己主張の訓練は、テーマである「褒める」達人になるための一歩であり、そして「愛とゆるし」、「平和と和解」のための一歩なのだろう。
外資系企業に勤めていたころは、ディベートを勉強したこともあった。ただ、今考えると異文化の環境の中では大切かもしれないが、日本人の社会の中ではちょっと違うようにも思う。健康で創造的な社会になるためにも、ロジックの世界だけでなく感情の世界も取り入れた訓練が必要かもしれない。
これはNPOの活動にもなるかもしれない・・・そんな妄想がむらむらと。
(感謝の領域<褒める>18/60)
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