イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ワシは死んだらどうなる・・・・

2010-02-11 | 第四章「愛とゆるし」

 人は死んだらどうなるか?この問いは科学が進んだ現代でも、回答が困難な問いである(神仏や魂の存在を肯定したり否定したりする)。誰もこうだと断言できない(科学的に証明することは困難)。

 現代でも、神仏や魂を信じる人がいる反面、信じない人もいる。あるいはどう信じたらよいか判らない人も沢山いる。死んでみないと判らない世界なのだろう。

 さて、現代も生きるのに、結構大変な時代である。毎年3万人以上日本では自殺者がいる。しかし、父母の戦中派の時代、祖父母の時代も大変な時代だった。その祖先も・・・

 自分の祖先を32世代遡ると、大体1000年前になるが、祖父母の数は理論上2の32乗となり現在の人口67億人を超えてしまう。当然祖父母が重なることになるが、1000年前の日本は、私たちの血の繋がる祖先に溢れていたと想像できる。古代は遠いが、血縁関係がたしかな時代だ。

 現代も、生きるに大変な時代かもしれないが、1000年前もかなり困難な時代だったろう。そして、当然ながら、その時代の人にとっても、死んだらどうなるかは、今と同様はっきり判らない世界であっただろう。

 古代の祖先は死後の世界をどう考え、どう死を迎えていたか?その回答の一つが、前日の平等院の素晴らしいイメージであった。

 そして、その甘い幸福感を持ちながら、次の日、奈良県の飛鳥を久しぶりに訪れ、朝一番に高松塚古墳の素晴らしい壁画の模写を見た。被葬者に関しては古墳が発見されて30年くらいたつが、まだ解明されていないようだ。しかし、文武天皇陵や天武・持統天皇陵のそばにあることもあり、当時の権力者であったことは間違いない。

 壁画の玄武像等(四方を守る像)、女子・男子群像、などは有名であるが、4面と天井の原寸大の美しい模写を一望で見ることで、どのように篤く葬られたかがよく判った。

 自分が被葬者と想像すると、天井には北極星を中心に美しい星ぼし(星宿図)を見。右手側には月像と西側の白虎、そして男子・女子の各々の群像。左手には日輪と青龍、そして男子・女子の各々の群像。頭側は北の玄武。南は盗掘で失われたが朱雀像があったに違いない。四方を守られながら、美しい宇宙を見つめる。

 それが、当時の人にとって何を意味していたかは、今となっては正確に判らないが、のんびりと眺めていると、幸福感がふつふつと湧きおこる。残された人の想いや、当時の哲学や科学時術の粋を集めての埋葬。死後の世界と魂の存在の信仰。熱いものが胸を込み上げた。

 死んだらどうなるか?冷たく、そんなことは判らないと答えたり、身体が土に戻るように無くなると答えた人も当時でもいたと思う。ただ、こうして篤く葬る人々も存在し、1000年以上の時を越えて、その想いが伝わる。

 写真は、高松塚古墳。眺望の良い丘の上にある。隣には文武天皇陵、近くには、ちょっときつい斜面を登ったところに天武・持統天皇陵がある。

 7世紀、今と比べものにならないほどの複雑で命をかけた政治状況。その中であっても、人は死後を肯定的にイメージし幸福感を持つことができたに違いない。その姿勢は現代でも、より良く生きるためのヒントだと思う。高松塚古墳に感謝であった。

(感謝の領域<日本の歴史>24/60)

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次の写真は天武・持統天皇陵(険しい斜面を登ると到達できる御陵で、ひときわ神々しい御陵でした)