長年、人生を歩んでいると、良い面もあるが、嫌な自分に気付いてくることもある。それを忘れようとしても、やはり悔いのない人生を歩む上には、嫌な自分をいったん受け入れる必要があるようだ。こころの封印は良くないこともある。
それには、どんな自分でも受け入れることができる教えが必要かもしれない。私の場合はカトリックであった。人間の原罪とか業とかを救う思想である。ある日、その思想が実感される(もっと深い実感もあるかもしれないが)。
ちょっとキザかもしれないが、神の愛とか仏の慈悲といったものを時に考え深めていくことは、とても大切だと思う。一度教科書的に理解すればよいのではなく、日々実感レベルで深めていく。
自分のブレない柱が、そうした中で強固になり、勿論右往左往するかもしれないが、人生のカタストロフィーの解釈を深め、あるいはこれからのカタストロフィーに耐えられる準備をしてくれるように思う。
(感謝の領域(カタストロフィーにも負けず⑩)40/60)
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