イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の思考パターンから離れる!(カタストロフィーにも負けず⑧)

2010-02-25 | 第五章「和解と平和」

 朝起きてから寝るまで。一日いろいろ、その時どきの課題で暮らしている(のんびりとすることもあるが)。湧きおこる感情を、自分らしい思考パターンで宥めたり(防衛機制)、楽しんだりして暮らしていく。

 自分らしいパターン。それは何かと、考えたりするが、ある部分は意識に上がっても、意外と上がりにくいところもあるようだ。あんまり考えすぎるのは良くないと思うが(辛くなるのは健康に良くない)、最近時どき考える。

 特に、先日奈良に行ったことと、その後で、青春時代に好きだった本を読み返し、自分のパターンをぼんやり考えたこともある。幽体離脱というものがあるかどうか不明であるが、世阿弥の「離見の見」のような、自分を離れて自分を見る視点のようなものを、ふと思った。

 孫悟空がお釈迦様の手のひらの中から出られなかったように、自分も歴史の流れの中で、さらに成育史の制限の中で、何かのパターンに自ずからはまっているようだ。そして、それに気づかないで、ごちゃごちゃやっているなあ。そんな空白のような時間があった。

 自分が自分を見ても、余り面白くないが、愛そのものの神様(仏様などでもいいかもしれないが)から見ると、どう見えるだろうかと考える。

 自分の個性や限界というか、そんなものも見えるようであるが、一方何か愛しい存在の感じに気付いたりする。

 それでどうなのかと訊かれると答えに窮する部分もあるが、自分がカタストロフィーに立ち向かった時は、意外とそんな視点が大切かもしれない。自分にしがみつき過ぎないで、ちょっと自由になる視点かもしれない。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず⑧>38/60)

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