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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情に蓋をしないでね!(時間と空間の旅 ② 7/10)

2014-02-14 | 第一章「意識と知覚」

 都合の悪いことは忘れる・・・それで気楽に人生を楽しめるなら良いが、そうでない場合も多いので、都合の悪いことが起こったとき(感情面)に、その感情を直ぐ倫理道徳で裁いたりせず、我慢したり忘れたり(抑圧・抑制)しないほうが絶対によい。そして、それを抑圧・抑制以外の防衛機制(合理化、昇華、補償など)でこころの安定を保ったほうがよい(これは個人個人の流儀で、先のブログ、防衛機制管理者一級ではないが身に着けて行く必要がある)。

 抑圧・抑制がどんな風に悪いかを自分の事例を恥ずかしながらあげると、典型的な例は6歳のときの小学校に入学したころ2人の友達と登校していて、一人が交通事故で亡くなった事例がすぐに思い出される。これは、当時、亡くなったA君がたまたまいじめっ子だったので、A君が事故にあった時「ホッとした感情」を抱いたことだ。それを、倫理道徳的に裁いて、その感情を持ったことを抑圧したのが、どうも後の人生で問題となったようだ。一番の問題は車が嫌いになり、営業で車を運転したりするときにストレスを感じたりしたことだ。

 今考えると、別に、そういう感情を抱くことは自然で、大したことではないが、当時は小学生の一年生なりに解釈してしまったことがある。

 とは言え、私の日常生活の中でも、いつの間にか抑圧・抑制をしてしまうことも時々ある。生活の流れの中で倫理道徳などにいつの間にか絡めとられ、我慢してしまい、普段ではしないミスをしたり、無意識に置き換えをしたり(私の場合は車が嫌いになった)、体調がここひとつ悪くなったり(身体症状)、プロセススケール(生き甲斐の心理学で専門的に学ぶ)が悪い方に流れていったりしたときは要注意である。そして、それを再度認識して、他の防衛機制(合理化、昇華、補償、逃避、など)で自分なりに軌道修正をするのが良い。

 まあ、私の場合は、いつの間にか心の問題に興味をもち、補償(心理学を専攻したり、その方面の仕事をしたりする)とか昇華(大学生の時に不思議な小説を書いたり)とか合理化などを使い今(生き甲斐の心理学を普及させる仕事)があるわけであるので、長い人生を考えてみれば、小学校の時の体験は良かった面も多く不思議な感じがする。

 防衛機制というと、教科書敵にはネガティブな事例がすぐ出てくるようで、悪い印象を持ちやすいが(私もそうだった)、決してそうでない。先日のPCによる確定申告などでは、自宅PCでの申告を辞めることは一種の逃避であり、それに対する私の理路(申告会場に出向く)は合理化だとも思うが、それで結果として心の安定を得られ目的も達成した。

 勿論、八つ当たりをして誰かに文句をいったり(感情転移や投影)、PCを投げつけたり(置き換え)するという悪い選択、迷惑な選択もあるので、精進して防衛機制管理者一級(笑)を目指す努力は常に必要だ。

 写真は四谷付近で先日とったアオギリの大樹。自由に枝を伸ばし大きくなっていくには、それなりの努力が必要なのだと思う。

時間と空間の旅 ②7/10

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