防衛機制の中に補償というものがある。自分の中にある不安、特に劣等感などを、生活の仕方を変えることで解消していくものだと私は思っている。代表的なものに結婚(独身の不安感を解消する)とか職業につくことがある。
自分が何故、結婚したのか。あるいは、職業をどう選んだのかなどを考えると、ふむふむと見えなかったものが見えてくる。例えば職業について考えてみると、私は父や祖父の職業、建築を大学受験で選んだ。それは、考えてみると、ある意味で父や祖父への劣等感が産んだ行為だったかもしれない。結果としては、幸か不幸か受験を失敗して別の仕事を見つけるようになった。ただ、その中でも例えば父と祖父もそうだったサラリーマンを選んだりする。
さて、話は時空をワープしてしまうが、最近、額田王に纏わる小説をよく読んでいる。日本の原型が構築された7世紀ー8世紀の女性で、天武天皇(大海人皇子)と天智天応(中大兄皇子)とも関係し(初めは天武天皇の妻であったが、後日天智天皇の妻となる)、歴史家、小説家たちによってさまざまに解釈されている。
香久山は 畝傍を愛(を)しと 耳成と相争ひき神代より かくにあるらし 古昔も然にあれこそ うつせみも嬬を争ふらしき
額田王を中心に男女の複雑な関係に興味津々ということもあるが、今日は額田王の歌人・詩人としての職業が本人にとってどうだったかを考えてみた。このブログにも書いたが、例えば次のような名歌がある。
君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く
一般に天智天皇に対する歌と言われているが、井沢元彦さんの小説では天武天皇をさすのではと別の説もある。さらに、私は現実的な人ではなく、神仏とか聖霊のように思ってしまう。まあ、何かとても普遍的な素晴らしい詩だ。
この歌は、どのように生まれたのか、気になるが、オクタピオ・パスの「弓と竪琴」(岩波文庫284P)に次の一節があり、考えさせられる。ちょっと長いが引用してみよう。
…詩人が、「今から書こうとするものが何であるか、わたしは知らない」という時、彼は、彼の詩が名づけようとしている、そして、名づけられるまでは、ただ模糊とした沈黙という形でそこにあるものが何という名前なのかまだ知らない、ということを意味しているのである。詩人と読者は、ただ詩人と読者によってのみ存在する詩、また、詩人と読者が真に存在するために存在する詩を創作する時、自らを創造するのである。
これは、心理学的には無意識の意識化ということだと思う。夢見る(私の場合は妄想か?)ことの好きなひとは確かにいる。しかし、兎角馬鹿にされたり(深層心理学的には自分以外の他者は驚きの対象だから本来だれでも馬鹿にされるような存在なのだろうが)しないで社会的に尊敬される詩人という職業も存在する。その中で、何かを紡ぎ生き抜く。
額田王は80歳近くまで生き延びたという説もある。私は思うのだが、額田王のように自分の感情をうまく意識化できる大詩人は、本質的に抑圧せず平安感の中で生き抜いたのではないかと推察してしまう。そして、詩人という職業の中で、他者を喜ばし世の為人の為に生きるのだから、ますます健康的になる。
最後に、私の参考にしている防衛機制に関する資料としては、テキスト「生き甲斐の心理学」があるが、その外U先生のブログ「生き甲斐の心理学」の第8章(心をのびやかにする方法)は具体的で事例も豊富。今回もU先生に感謝である。
時間と空間の旅 ②8/10