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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

反動形成のバネとさらに進化したバネ!(時間と空間の旅 ③ 3/10)

2014-02-20 | 第一章「意識と知覚」

 日々の生活の中で、ほどほどの楽しみを見つけることは大事だと思うが、何か挫折感、劣等感、罪悪感、疑惑感などの暗い感情が晴れず、心のどこかにくすぶっていると、そういうちょっとした明るい感情が湧きにくいようである。

 自分の青春時代を振り返ってみると、十台の後半は、それこそ劣等感、罪悪感、猜疑心、自己混乱感などに覆われていた時代だった。思い出しても辛い日々を送っていたようだ。それが、社会人となりしばらくするころには、そうした感情が随分晴れ、日々の生活の楽しみが現れてきたのを感じた。

 それは何故かと振り返ってみると、心理学的には防衛機制の反動形成(負け犬が激しく吠えるよう)が重要な働きをしていたと思う。

 なんとなく甘ちゃんと周りから馬鹿にされていると感じて、一人旅をしたり。数学でDをもらい留年の危機に遭遇して、発奮し次の試験でAをもらうことも。まあ、それで調子にのって失敗をしたりすることもあったが、反動形成は考えてみれば、自分の中の黒い霧?を晴らし、より心の自由を与えてくれたように思う。そして、豊かな自然の中で旅をし、湧き起こる明るい感情を堪能したり。

 しかし、この反動形成のバネがいつも効くかというと、必ずしもそうではない。やはり様々な限界があるものだ。反動形成のバネで二匹目のどじょうを得ようとしても、思い通りにはならず、時に致命的なマイナス効果を産む。そこでは、別のタイプのバネが必要なようだ。それは、生き甲斐の心理学でいう、自己実現の領域の自問自答だろう。

 ①何のために生きるか?②生き甲斐は何か?③自分の魂、心、身体を大事にしているか?この3つの自問自答だ。勿論、古今東西の人が考えただろうが正解は見つからないような難問だ、ただこの領域を考えることで、私の場合は変な劣等感に苛まされることも、罪悪感に苛まされることも、自己混乱感に苛まされることも格段に減ったと思う。

 地位や名誉や財産はこの世では大事だろうが、死ぬ人生にとって、どの程度大事なのだろうか?それより大切なことは確実にあると思う。そうすると、劣等感などは随分軽減される。

 ただ、若いころのような反動形成のパワーが必要がなくなったかというと、そうではなく、何か共存共栄といったらよいか、自他肯定的といったらよいか、そうした世界のパワーは相変わらず大事だと思う。

 2月になってからの大雪で、今も雪かきが話題になるが、人知れず雪かきをする善意の人の話があった。多分、その謎の雪かき人は、その典型ではないだろうか。

時間と空間の旅 ③ 3/10

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