イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福になりそうだと逃げる過剰反応!(時間と空間の旅 ③ 4/10)

2014-02-21 | 第一章「意識と知覚」

 親しく良好な関係の人が、突然亡くなったり関係が悪化したりすると、そのショックが後をひき、変な話ですが良好な関係・幸福になりそうになると、その相手を無意識に避けてしまうということがあるようです。しかし、この傾向を自覚し始めると治ったりも。無意識の意識化は大切なようです。

 この対人関係の問題も、U先生のブログを読んでいたら、反動形成の一つの事例として解説されていました。

 自分はともかく、他者は驚きの対象・・・とは、よく深層心理学の言われており、他者に裏切られたりするのは、ある意味当然のことかもしれません。しかし、意識の世界ではこの当然を受け入れられず、過剰に反応してしまうのでしょう。

 特にある理想に固執していると、その落差は激しく。反動も激しくなるようです。

 ちょっと脱線しますが、ほどほどの幸福を生活の中で感じ、見出し始めると、そのほどほどが実は愛の実態と考えなおしたりするようです。私など、今朝のソチ・オリンピックの浅田真央さんのフリーの演技を観て、天国とはこんなものか?と感動し涙がでてしまいました。昔、甲子園の中継を見ていて泣いていた祖父の心境が判るようになったのかもしれません。

 さて、幸福を感じると反動形成で逃げ出してしまう傾向は、自分の中にも意外にもあるようです。その起源は、「3つ子の魂百までも」のように、生れ落ちてから形成されてきたようでした。考えてみれば、人間関係は大なり小なり、時と共に変わります。親子でも兄弟の誕生で扱いが変わったり、気の合った友達も転校等で別れたりします。そんな中で、幸福感を感じだすと不幸に走る不思議な傾向は身近かもしれません。

 さらに、私の場合では小学校1年のときの友達の交通事故死ということで、幼いなりに無意識のうちに自分を過度に責めることがありました。意識の世界では、それほど・・・というようなことも、無意識の世界では大きな問題となり、日常の行動が引きずられたりするのです(今は消えましたが)。

 人には仏性があるとか、キリスト教でも「人の身体は神の神殿」という思想があり私は信じているのですが、実際の人は、それこそ私も含めて不完全(愛そのものの魂があるとしても)で、裏切られたりすることは当たり前かもしれません。

 しかし、無意識からくる過剰な反動形成の存在を時に想いだし、自分の中の傾向を確認することは大事。せっかくの幸福が逃げないように。

時間と空間の旅 ③ 4/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o