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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

持つことの幸せと、持たないことの幸せ!(時間と空間の旅 ④ 1/10)

2014-02-28 | 第二章「五感と体感」

 先日行った薬師池公園。いつものように水鳥が群れたり、カワセミが素早く飛来したりしていた。野生の鳥は、この寒空でも元気であり、その姿を見ているだけで心が弾む。

 そして、ふと気づくのだが、水鳥は着飾りもせず、カバンもスマホも持っていないと。それにも関わらず私より長旅していたり。

 水鳥を観たり写真を撮っている人々は、さまざまな装備や所持品でいっぱいなのと対照的。

 何かを持つというのは、実に不思議なことだと思う。

 例えば私はカバンを持って歩くのが好きだ。この癖は学生のころからである。中には、本、スマホやタブレット、小型の魔法瓶や弁当、マスク、手袋、筆記用具、のどあめなどなど、ごちゃごちゃ入っている。

 実際に、何かの時に役立つものもあるが(暇つぶし、のどが渇いた時、・・・)、その何かが何時あるか・・・。しかし、持つことによる心の安定という効用があるのだろう。フロイトの14の防衛機制の中の摂取だ。

 お守りとか、ロザリオなどは典型的なもので、心の安定に関係するとすぐに判るが、父の形見のネクタイとか好きなお菓子とか、良く考えるとお守りに似ているものも多い。そんな風にいろいろ考えてみると、所持品の多くは意識するしないに関わらず殆ど全て、どこかお守り的な要素があるようにも見えてくる。それだけでなく、自分の考えや思想や記憶・・・そんな無形のものも、そういう要素があるようだ。

 しかし、水鳥のように羽ばたいたり自由になるためには、所持品は不要なのかなとも思う。自分の「摂取」状況を反省し、断捨離を思索・断行することは時に大事なようだ。

 断捨離で、ちょっと強烈な孤独感があるかもしれないが、それはエリクソンの性格形成論でいうとどうなのか?孤独感は実は愛と親密性と深い関係がある。持たないことでの幸せは確実に存在するのだと思う。とは言え、私は神仏を断捨離するのは嫌だけど。

時間と空間の旅 ④ 1/10

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