最近、娘からtwitterの話がでて、その存在を知ったが。知人も楽しんでいると知って、先日いそいそとtwitterを始めてみた(遅ればせながら)。
140文字以内という制限がある、掲示板やプチ・ブログという感じなのであるが、はじめてみてそれが何か判ったようだ。
一昨日夜遅く携帯でtwitterに投稿したとき、丁度携帯でブログの写真を撮るように、その時の湧きおこる何か(感情?)を、つぶやいた感じであった。結構快感である。
湧きあがる感情は、より自分らしく、かつ真実に近い何かを含んでいるようである。勿論その感情から誘われるその瞬間の想いや考え(つぶやきか)は、正しいものかどうか判らない。しかし、その湧きあがる感情は事実であり、あとで熟慮することで、正しい判断や発見に繋がるのではないだろうか。
twitterはそんなつぶやきに、いろいろな人がつぶやくことで、また何かを発見できるしくみなのかもしれない。勿論業務連絡のような伝達もできるが。
俳句のように140文字以内という制限があるのも、良いところである。世界版の俳句・川柳のようなものか?
もちろん、カタストロフィーに負けないために、twitterでなくても、つぶやき、湧きあがる感情を大切にすることは大切だと思う。過去に、危機に瀕してつぶやき、自分らしさを出したことは、とても大切だったように思う。こころの健康という面でも良い。
写真は、先日、奈良・京都からの帰宅途上での夕焼け。twitterでないが、何かをつぶやいているつぶやき写真である。
(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 36/60)
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