イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

【つぶやき】の価値!(カタストロフィーにも負けず⑥)

2010-02-23 | 第五章「和解と平和」

 最近、娘からtwitterの話がでて、その存在を知ったが。知人も楽しんでいると知って、先日いそいそとtwitterを始めてみた(遅ればせながら)。

 140文字以内という制限がある、掲示板やプチ・ブログという感じなのであるが、はじめてみてそれが何か判ったようだ。

 一昨日夜遅く携帯でtwitterに投稿したとき、丁度携帯でブログの写真を撮るように、その時の湧きおこる何か(感情?)を、つぶやいた感じであった。結構快感である。

 湧きあがる感情は、より自分らしく、かつ真実に近い何かを含んでいるようである。勿論その感情から誘われるその瞬間の想いや考え(つぶやきか)は、正しいものかどうか判らない。しかし、その湧きあがる感情は事実であり、あとで熟慮することで、正しい判断や発見に繋がるのではないだろうか。

 twitterはそんなつぶやきに、いろいろな人がつぶやくことで、また何かを発見できるしくみなのかもしれない。勿論業務連絡のような伝達もできるが。

 俳句のように140文字以内という制限があるのも、良いところである。世界版の俳句・川柳のようなものか?

 もちろん、カタストロフィーに負けないために、twitterでなくても、つぶやき、湧きあがる感情を大切にすることは大切だと思う。過去に、危機に瀕してつぶやき、自分らしさを出したことは、とても大切だったように思う。こころの健康という面でも良い。

 写真は、先日、奈良・京都からの帰宅途上での夕焼け。twitterでないが、何かをつぶやいているつぶやき写真である。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 36/60)

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考え方一つで世界は明るくなるもんだ!<カタストロフィーにも負けず⑤>

2010-02-22 | 第五章「和解と平和」

 一つの出来事は事実かもしれないが、その解釈は多様である。

  昨晩も、ちょっとした思い違いで電車の回数券を二重に買ってしまった。本の二重買い(これはと思って購入して読み始めると、どこかで読んだかなと思い、良く見ると書棚にあったり)はあったが、回数券は初めてであった。

 ちょっと悲しかった。「お金を無駄にした。もう年かも」と考えていたが。考え方を修正して、「これも何かの恵み、休日にこれを利用して、見聞を広めよう。」と考えるようにした。いつもの仕事場を単純に行き来するより、何かもっと楽しくなるきっかけを見つけられるかもしれない。

 これは、ちょっとしたことであるが、大きなことも同じようなものである。私の好きな聖人コルベ神父はアウシュビッツの飢餓室で絶望するのではなく、友のために祈り讃美歌を歌った(本人でないと判らないが、ひょっとしたら素晴らしい至福の時だったかもしれない)。

 嫌なことも考え方次第である。解釈の仕方は個人に与えられた束縛されない、自由である。別に常識にとらわれる必要もない。

 このことは、「生き甲斐の心理学」の大きなテーマであるが、このことを日々応用するだけで、自分の人生は明るくなった経験がある。世の中、全て思い通りにいくものではない。必ず世間的な妥協も必要になってきたりする。その時明るく解釈し、時を待ったり受容したりするのは、大きな智恵である。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 35/60)

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自分以外は不可解!?<カタストロフィーにも負けず④>

2010-02-21 | 第五章「和解と平和」

 どこかで読んだが、現世人類は様々な生物の中では、遺伝学的にかなり均質な種であるそうだ。

 しかしながら、自分が想像だにしない行動をする人がいる。また、自分もある人から言わせるとエイリアンだそうだ。

 私は幸か不幸か、幼いころからいろいろな人と接した。海外で暮らしたこともある。成人してからも、対人的な仕事で様々な人と接した。介護・福祉やカウンセリング勉強会の仕事もした。それでも、人が判ったという感じはしないし、謎・不可解な部分は昔と変わらない。

 自分以外の他人は驚きの対象と、深層心理学では言われるようだ。確かに、人は身体も違うが、成育史も全く違う。身体や環境の似ている親子や兄弟でも、やはりかなり違う。へーと思うようなことは結構あるものだ。

 主義・信条も人それぞれ違う(微妙に違うことも含め)。ただ、よくお話をお聴きすると、しっかりとした(しみじみとなるような)理由があるのである。自分にとって原理主義的に批難することは、意外に難しい。そんなことをしみじみ思う。

 また、身体やこころを病んだ人でも。一見不可解な行動にも、その人なりの動機がしっかりある。心理学者のカール・ロジャーズの命題5などは真理だと思う。どんなことでも、より知ると、しんみりとする理由があるものだ。

 不可解だからといって拒絶するよりは、対話して相手を知る。それは、こころの安定をもたらすようだ。また、何か真理に近づくようでもある。カタストロフィーも同じかもしれない。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 34/60)

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最も効果的な防衛は微笑み!(カタストロフィーにも負けず③)

2010-02-20 | 第五章「和解と平和」

 窮地に陥る中に、対人関係での窮地がある。喧嘩とか紛争とかもある。社会的な問題となれば、最大の窮地として戦争ということもあろう。

 そういう窮地は誰でも、自ずとやってくるのかもしれない。周りを見ても、素晴らしい尊敬する人でも、そういう窮地があるようである。

 今日、たまたまU先生から以前いただいたメモで、マザーテレサのいくつかの言葉を見ていた。その中に次の言葉があった。

 「最も効果的な防衛は微笑みです。」

 何とも含蓄のある言葉である!

 カウンセリングの中で重要な人間観の問題に触れることかもしれない。

 どんな相手の中にも、愛そのもの、あるいは仏性があるはず。そう考える人は、微笑むことができるのだろう。

 人生の窮地で微笑み対応する。結果は相手次第であるが、やはり経験的にももっとも効果があるようである。相手の何処かに潜む愛、あるいは仏性(哲学・宗教でいろいろあるだろうが)、それを信じる。

 生き甲斐の心理学ではテキストには直接書いてないものの、この考えは大切にされている。10年間位学んでいるが、カタストロフィーに負けないための一つの智恵だと思う。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 33/60)

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<想い>は重要、(カタストロフィーにも負けず②)

2010-02-19 | 第五章「和解と平和」

 阿倍仲麻呂は、唐に渡って素晴らしい仕事をしたが、ついに日本に帰ることができなかった。その名歌が、今に残されている。先日行った安倍文殊院にも彼の石碑が建っていた。艱難辛苦の中で唐に渡り、科挙の試験に合格し、その後日本に帰ろうとして失敗しなど、波乱万丈の人生を歩んだ阿倍仲麻呂。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

 さて、自分の生命までが脅かされそうな脅威の中で半年以上耐えたAさんは、本人に言わせれば、奇跡的にも危機を回避できた、と喜んでいた。

 本当の危機になると、人間は意外と火事場の馬鹿力がでることがあるようだ。ただ、その時重要なのは、<想い>があるか否かもしれない。嵐のように起こる様々な出来事の中で、共に苦労してくれる支援者の存在は勿論大きいが、本人の<想い>はそれ以上だ。

 「生き甲斐の心理学」では、自己実現のことを考えるとは以下の3つのポイントのことであり。考えることだけで、不思議な効果があるとしている。

①自分は何でいきているのか?

②自分の生き甲斐は何か?

③自分を大切にしているか?

 Aさんは、知らず知らずのうちに、この3つのポイントを無意識にかもしれないが、想っていた(祈っていたというのかもしれない)。

①=>回答、家庭のため

②=>回答、仕事も大切、家庭も大切

③=>回答、こころの深いところも含めて、勿論大切にしている。

 Aさんは、ある意味で怖いものはなかった。はだかの自分になっていた。火事場の馬鹿力とはそういうものかもしれない。

 この大黒柱のような問いかけの回答は、死ぬまで得られないのかもしれない。ただ、考えること自体で、嵐の中の羅針盤のような働きをし、こころを健康にし、知覚や五感・体感を健全にするようだ。

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 32/60)

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