こころの健康が崩れている時。本当は悲しいはずなのに感情が湧かない。本当は怒っているはずなのに感情が湧かない。こういう経験はあるでしょうか?昨日、たまたまtwitterで内田樹さんのつぶやきを拝見していたら、感情が記号化されるような・・・というようなつぶやきがありました。
うまいこと言われるなと感動しました。
現代の心理学で、こころの健康を測る尺度があり、世界中で愛用されているものに、プロセススケールというものがあり、7つの観点で測るのですが、その一番目に、感情のことがあります。こころの健康が良くない場合は、≪本物の感情が意識に表出されていない、認められない。≫
自分の感情を記号のようにしかとらえられない。別の言い方で、自分の感情をガラス越しに見るよう。こんな時は、こころの状態が悪い(通常、底辺と呼びます)です。
一日の生活の、ほぼ全体が底辺ということもありますが、普通の健康な人でも、ある話題では底辺ということもあるかもしれません。その正反対は、高辺≪どんな感情が湧いていても感情を恐れることなく、その感情の流れの中で生きているし、その感情を十分に体験、味わう余裕がある≫です。
この感情に関するプロセススケールはいろいろな意味で役にたちます。若いころ、コンピュータの営業で奮闘していたころ、一日のうち、朝は大型受注で有頂天になり、昼ごろクレーム処理でしょんぼりし、夕方は楽しいお客様との会話でなごむ。そんな自分はちょっとおかしいのではと、信頼できる先輩に訊いたことがありました。それは、おかしくないよといわれほっとした経験があります。それは、今プロセススケールの理論で考えても的を得ています。
そんなことを気にしていた時期は、営業成績もよく、考えてみればプロセススケールも高辺、中辺だったようです。反対に営業がスランプの時は中辺、底辺(ごく稀に)だったかな。
愛のある傾聴により、記号化されたような感情が流れるようになる。それが、傾聴の醍醐味かもしれません。
傾聴力 6/10