イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

疑惑・恥辱を突破するための勇気の意味!(信頼力 6/10)

2011-11-15 | 第五章「和解と平和」

 今月の終わりには、還暦をお祝いする会合があり京都に行くが、その時に奈良に寄るのを楽しみにしている。日本の原型(官僚制度、文化、天皇制度、宗教)が確立した7世紀から8世紀にとても興味があり勉強しているが、そこの舞台は奈良なのだ。

 特に、持統天皇には興味があり、昨日もネット・サーフをしてしまったが、朱花(はねず)の月という、持統天皇関連の映画があることを知った。そして、そのロケ地や持統天皇ゆかりの地の訪問のバスツアーがあることを知り、早速申し込んだ。今朝確認したら、何故か中止とのことで、がっかり。しかし、持統天皇ゆかりの地には行きたいな。吉野・・・

 さて、その7-8世紀のころ、日本神話も国の事業として纏め上げられた。日本書紀や古事記である。心理学を勉強する前は、日本神話には殆ど興味がなかったが、日本人のこころを考えたり、事例研究などで価値があり今では愛読書となっている。神話は、その民族のアイデンティティとしても極めて大事で、神話を大切にする民族は生き残るという学者もいるので、皆様も読まれたらと思う(日本が滅びないように(笑))。

 そして、最近はイザナキとイザナミの黄泉の国での物語りを繰り返し読んでいる。この箇所は、死生観、穢れと禊を考える上で(現在の日本人の深層を流れる)、とても参考になる。

 その中で、イザナミ(女神)が観てはいけないと禁止したのに、イザナキ(男神)が禁を破り観てしまうシーンがある。これは、ギリシャ神話や民話などでよく出てくるパターンなのであるが、エリクソンの2-4歳の人格形成論にでてくる、意志力、自律性、疑惑・恥辱の構造から考えると、とてもしっくりするようだ。

 人が人間的に成長し信頼できる人になるには、当然ながら自律していかなければならない。そして、その時に疑惑・恥辱をも跳ね返し、突破していくのには意志力(勇気)が必要なのだ。

 6-7歳のころだったが、夜、父が豆腐を食べたいといい、丁度豆腐を切らしていたため、私が近くの豆腐屋さんにお使いに行くことになった。当時は、お化けがでそうな怖いところがあったりし嫌であったが(日本の電力使用量も今の20分の1とかで)、頑張れ男じゃないかなど励まされ、行くことに。その時の恐怖は今でも覚えているが、背中にお化けが迫ってくるののを、振り切るように全力で走った。

 しかし、そういった経験を一回でもすると、二回目から楽にできる。そんなことを学んでちょっと成長したのだ。こうした私の勇気の原型は、その後大人になってからも大変役にたっている。

 日本神話での黄泉の国の話。様々な解釈はあるとしても、疑惑・恥辱からの解放の話とも読める。もし、持統天皇や天武天皇が今生きていたら、どんな政治をするのだろうか?疑惑を振り切る意志力を行使したかも。

信頼力 6/10

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こころの道具は使い方次第!(信頼力5/10)

2011-11-14 | 第五章「和解と平和」

 NPOで生き甲斐の心理学を普及する活動をしているのだが、最近活動のためのコミュニケーション手段をあれこれ考えている。運が良いことに、現在は情報時代となり、幼い頃は満員の映画館で悪戦しつつ観た高価な映画も、今でじゃ只でパソコンで見られたりする。

 かつては何百万も出してマーケットリサーチした内容も、今では検索エンジンで好きな情報が簡単に入手できるようである。さらに驚きはFACEBOOKやMIXI、Twitterなどから面倒な手続きもなく、有意義な情報のやり取りができる。本当に凄い時代だ。

 さて、今、関心があるのはPowerPointを使おうかなということ。以前は外資系企業に勤めていたこともあり、PowerPointは良く使った。ただ、会社をやめてから、こころのケア等の世界に入って、ご無沙汰だった。

 しかし先日、論理をつむぐシステム思考で素晴らしい・プレゼンテーションを観て、心が動いた。ただ、生き甲斐の心理学の勉強会でどういう使い方があるかと考えると、悩んでしまう。

 勉強会では、今までも写真をスライドショウで観たり、イメージ情報を使う意味は大いにあるのだが、説明にパワーポイントを使うと、変に緊張しリラックスした状態ができるかという懸念である。こころの勉強は、お互いにこころの鎧を脱いで、リラックスしないと効果があがらない。

 「生き甲斐の心理学」を勉強していくと、14の防衛機制の勉強をするようになる。フロイトが理論化したものであるが、日常の中では本当にしょっちゅう出くわす。こころの安定を確保する、神秘的で素晴らしいこころの仕組みだが、これもポジティブな面のほかにネガティブな面もある。そのあたりを良く知り、セルフコントロールが上手になればと思う。

 防衛機制、例えば、八つ当たりは感情転移の典型的なものであるが、本人はちょっとこころの安定に役立つかもしれないが、まわりは迷惑だし本人も苦労する。そんな風である。同一化という仲間意識は、ある意味よいが、本来人は孤独であることを忘れがちになるとか。

 PowerPointでプレゼンテーションをすると、人によっては、知性化や合理化の防衛機制を刺激するかもしれない。反動形成になるかもしれない。同一化の防衛機制を起こすかもしれない。そんな心配がある。

  でも、防衛機制という、こころの道具。この理解がさらに深まれば(当然他人ではなく自分の防衛機制の理解を深めてこそだが)、きっとPowerPointもうまく使えるだろう。今の自分に、それだけの力があるのか、結局はそんな問題かもしれない。

信頼力 5/10

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肯定的人間観で人の神秘が観えてくる!(信頼力4/10)

2011-11-13 | 第五章「和解と平和」

  昨日は、等価変換創造学会の例会があり、午後からずっとI-TRIZを勉強したり、楽しくお酒を飲みながら語り合った。人間関係が親しくなり信頼感のなかで、本音を語りあい出会いの神秘というか、不思議な知恵を頂いたりした。

 頂いたアイデアの中には、今後の「生き甲斐の心理学」の普及活動に関するアイデアも2-3。皆様、そして講義をしていただいたH氏に感謝である。

 さて、気のあった同志や仲間は大切で宝のようであるが、浮世で暮らすには、気の合わない人、時には嫌いな人、あるいは対立する人とも、お付き合いをしなければならない。 

 この時に大事なのが、信頼力というか、他者を完全否定的に捉えないで、希望をもって対話する力だと思う。今日は、その信頼力の源泉のひとつ、人間観を考察したい。

 「生き甲斐の心理学」では、まず、思想的に個人のこころの奥には、愛そのものがあると捉える。こうした考えはちょっと馴染みにくいかもしれないが、別に特別な思想ではないと思う。例えば、日本国憲法にも基本的人権の思想がある。どんな人でも大切にする。その裏には、仏心とか人間の尊厳といった、肯定的人間観があると思うのだ。

 そして、人間観を持つことで大事なのは、否定的な人間観もいろいろあると思うが、何かひとつの肯定的人間観をひたすら信じることだと思う。私は聖パウロの「人の身体は神の神殿」の思想を信じている。いろいろな思想が現在は様々な形で存在するが、振り回されず、自己完結的にひとつの思想を信じることで信頼力がついていくように思う。

 さらに、カール・ロジャースやエリクソンの人格形成論や病理論を勉強していくと、人が心の病気になったり、年をとったり病気で脳に器質障害をこうむっても、その行動の中に一貫性が存在することを学ぶ。そうした人間の真理を知ればしるほど、私は肯定的人間観が身近に感じられるようになった。

 しかし、世の中はには悪意を持つ人や、否定的人間観を持つ人などいろいろ居る。そうした中で、肯定的人間観を、のほほんと持っていると、いくら注意していても深く傷つくかもしれない。でも、そのリスク以上に大きな恵みがあると今は考えている。

信頼力 4/10

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見るのではなく観る。聞くのではなく聴く!(信頼力3/10)

2011-11-12 | 第五章「和解と平和」

 他者の行動の一貫性を信じる力の源泉はどこにあるのか、どうしたら信頼力をつけることができるか、これは結構大きなテーマで、人格形成論、人間観、防衛機制、プロセススケール、エンカウンターなどが走馬灯のように浮かんでくる。

 10回で、皆さんと共に、その一端を考えて行きたいと思い始めたが、今日は人間観の方向を目指してみたい。

 自分を信頼する。他者を信頼する。簡単なようで難しいことではある。多くの思想や宗教にも、それぞれ人間観があり勉強にはなるが、自分のものとして、なかなか身に着かない。その時は判ったつもりでも、日々の生活のなかで息づかないものである。

 自分の拙い経験のなかでは、人間観は単純に思想を知ることでは無く、知覚が変わることと関係があるように思う。例えば、見るということがある。これは眼球を通し外界の像を結び、脳でそれを様々なレベルで認識していく。

 例えば孫をミル。2歳ちょっとになった孫は、どういう訳か最近、階段の上り下りに興味を覚え、先日多摩動物園に行ったときも、丘陵に造られた動物園なので階段もいたるところにあるため、動物見学以上に階段に夢中になっていた。

 孫をミル。階段の上り下りという、幼い行動(馬鹿げた?)を上から目線でミルこともできる。

 ボーと他人とは違う、近親感を抱きつつミルこともできる。

 階段を上り下りする現象をミテいる中で、何か自他一体感を伴い、何か(神秘的な)を垣間見たというミルもあるように思う。ミルの主体が自分から、孫に転換をしたようでもある。上から目線と反対に、何かを教えていただくという目線といっても良いかもしれない。

 観るとは、そうした力点の転換がある。これは、聴くでも同じことである。聞くのではなく聴く。

 カールロジャースの6条件、傾聴訓練は生き甲斐の心理学を学ぶと必ず勉強することであるが、こうした知覚を変化させる訓練とも思える。

信頼力 3/10

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惑い崩れないで、立ち直る!(信頼力2/10)

2011-11-11 | 第五章「和解と平和」

 今日は11月11日、知人のブログで大震災から8ヶ月たったことを知った。時々仕事仲間と雑談すると、今年は時の過ぎ行くのが速く感じるという方が多い。私も11月という声を聴いても、何か9月ごろのような気がしてしまう。

 先日も、ディスクのトラブルで一喜一憂したが、どうも、いろいろ思い惑うと時の経つのも速く感じるのかもしれない。

 さて、今日は、昨日の続きでエリクソンの人格形成論でいう2-4歳の意志力、信頼、不信感について考えてみたい。幼稚園に初めて登園し、そのときに母が、そっと帰る後ろ姿を見て混乱し泣いた経験。

 疑惑感・恥辱は、どうも負のスパイラルが働き、一度陥ると、どんどん嵌っていく性格があるのかもしれない。底のない恐怖感も含有しているのだろうか。

 大震災のときに、余震で感じた不安。原発事故への疑惑感。ディスクを壊してしまった恥辱感。何か似ている。

 こういう現象は大きな問題への引き金になったりするのか、臨床心理学や生き甲斐の心理学でも、この対処方法への理論を用意しているようだ。

 エリクソンの意志力、自律性、疑惑感・恥辱の3つのポイントで考えると、疑惑感・恥辱を解決するのは意志力が関係するというように見える。子供の頃に夜のお使いを頼まれ、こわごわ行ったこと。こんなことも、今考えると良い意志力のトレーニングだったのかもしれない。

 フォーカシングという手法も日本では極めてポピュラーであるが、これも疑惑感・恥辱の対象を絞ったり、事態の成り行きの最悪と最良の姿を推測をするなど、より事態の真実な姿をイメージすることで、現実に向かう意志力を喚起するものとも言えよう。

 大震災の翌日だったか、生き甲斐の心理学の勉強会があって、その時に議論したが、事態の成り行きの最悪を明確化することで、私の場合はこころの健康状態が格段に良くなった。

 信頼力 2/10

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