イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人も愛した、ともしびの意味!(私とあなた ② 4/10)

2014-09-20 | 第八章「魂と聖霊」

 縄文時代の研究をしつつ「花子とアン」を観ていると、いろいろ楽しい。今日は女性の醍醐さんが吉太郎さんにプロポーズするシーンに唸ってしまった。縄文時代は女系社会で、日本神話にも女神の話は沢山でてくる。しかし古事記や日本書紀が編纂されたのは8世紀で、何となく男性優位の思想がバイアスをかけているようで残念だ。本来、縄文の女性は醍醐さん以上だったかもしれない。

 例えば、イザナミ(女神)とイザナキ(男神)の神話も、はじめイザナミがイザナキより先に声をかけて国産みをすると失敗し、逆にすると成功したという話になっている。最初に声をかけるのが女性という風習が縄文にあったのかもしれない。倭国の卑弥呼に象徴されるように、大王も女性の社会だったのかもしれない。

 しかし、イザナミの神話は実に深い精神性をもっていると思う。イザナミは国産みや沢山の神々を産んだ後に、火の神カグツチを産む。そして、陰部をやけどし病に伏し、そして亡くなる。それから、イザナキの黄泉の国の探索の話に繋がるのだが、火の神を産んで亡くなるという話は深い意味を持つように思う。

 私が、7歳の時に暮らした南東アラスカ、シトカに伝わる先住民クリンギット族の神話が、星野道夫さんの『森と氷河と鯨』という素敵な著書に掲載されていた。以前ブログで引用させていただいたが、今でも時々思いだす。

 ワタリガラスが死を賭して火を得たが、それが、人に魂をもたらしたという文脈の神話であるが、イザナミが様々な幸をのこしつつも、死ぬことでカグツチが生まれた神話にも同じような精神性を感じてしまうのだ。

 東京都埋蔵文化財調査センターの展示。左にランプ人面付香炉型土器が展示されている。

 縄文土器を展示している博物館等に行くと、ランプとして使われた人面付香炉型土器がよく展示してある、火の神カグツチに関わる神話(イザナミの神話も一つだろうが)を想いつつ、縄文人はランプに火をともし祈ったのだろう。

 人は、様々な生命体の中でも不思議な一面を持っている。ロジャースの人格形成理論に次の第4の命題がある。有機体を生命体とか人と読み替えて頂ければ判りやすいと思う。

 命題4:有機体は、一つの基本的な傾向と渇望(striving)をもっている。すなわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。

 これは、今日はラーメン食べたいと思ったら、昼にラーメン食べてしまうといった日常のこともあるが、自分の人生を、基本的なその人の持つ傾向や渇望で辿っていくという、自己実現といったレベルもあると思う。

 自己実現という言葉を考えるときに、自分で注意しているが、決して利己主義と同じ意味ではないと思う。時には、イザナミやワタリガラスのように死を賭して子供を産んだり、他者を救ったりするのも自己実現のひとつなのだろう。「花子とアン」も白蓮さんの歩君のような悲しい話もあるが、自己肯定・他者肯定の道を如何に歩くかが大事なのだろう。

 蛇足で恐縮だが、私はカトリック信徒なので、この火の神話に燃えてしまう。十字架の贖罪に近いからだ。

私とあなた ② 4/10

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まわりの価値観が崩壊しても春は来るもんだ!(私とあなた ② 3/10)

2014-09-19 | 第八章「魂と聖霊」

 今日の「花子とアン」で思わず胸が熱くなったのは、兄吉太郎が終戦の時点で、元憲兵ということで周りから辛くあたられ、甲府の実家に受け入れられるシーンであった。時代の流れの中で、今までの価値観が崩壊するということは、世の常なのだろうか。自分でもこうした時代の変化、価値観の変化で苦しんだ時期が、「花子とアン」ほどでないにしろ2-3回は経験している。

 一つは、ちょうど思春期・青年期のころの進学や学園紛争時代だ。何となく当たり前に信じていたものが崩壊し環境が激変する。二番目はベルリンの壁が落ちて、資本主義が羽を伸ばし始め、例えば終身雇用制度が音をたてて崩れる時代。ちょっと大げさだが、会社生活や家庭生活に意外に大きな影を落としている。

 人によっては今日の吉太郎のような、大きな挫折体験を味わうだろうが、私の場合も、心理学でいう自己概念の一部が崩壊てしまうが、幸せなことに再生の喜びに出会ったりした。ロジャースの人格形成論の9番目を地で行ったようなのだ。

 崩壊と自己混乱は、勿論、時代の変化だけでなく、自分のライフステージの変化でも起こる。その時、エリクソンの心理学では、忠誠心の世界やアイデンティティがとても大切だと教えてくれる。実際、自分のことを考えても、崩壊の危機の時に自分を救ったのは、カトリックの信仰を含めて忠誠心の相手や思想・哲学だったりした。

 ただ、ここで重要なのは、崩壊の時を迎えたときに再生するための芽を、それまでの生活の中でどこかに蓄えていることのようだ。勿論、人知を超えた世界のようでもあり何ともいえないが。私の場合は、ふと観た夜明けの明星だったり、何気なく見入った教育テレビの一コマだったりした。普段、見過ごしていたものが、ある時点から大きな意味を持つようになる。そんな印象だ。

 さて、死と再生の物語はいろいろな思想や神話にもでてくるが、今、一番興味を持っている郷土の縄文文化にも出てくる。多摩のストーンサークル田端遺跡や近くの縄文遺跡の中で勝坂式の土器が良く出てくるが、これは地母神神話のようで、土器の中には女神の誕生から死、生殖・再生の物語を描いているようなのだ。

 当時の多摩は諏訪方面を含めて、四季がはっきりし美しい。そんな中、しかもどんぐりとかトチとか植物性の主食(粥のようなものだったり、クッキーだったり)に恵まれていたようだ。勿論、イノシシや魚などの動物性のタンパク質なども摂取しただろう。

 その中で、当然ながら生きながらえるための祈りが生まれ、楽しい時間も過ごしたのだろう。今も昔も、崩壊と再生はセットとして存在するようだ。私も今後、いろいろな崩壊の時を向かるだろうが、縄文人のように、悲しみのあとには喜びもくるものだと信じよう。

私とあなた ② 3/10

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家庭内の文化の差をどう考える!(私とあなた ② 2/10)

2014-09-18 | 第八章「魂と聖霊」

 縄文土器の研究から意外なことが判ったらしい。縄文土器は地域によって文様等の特性がある。私の近くの多摩の土器(中期)は大半は勝坂式とか加曾利式である。先日行った諏訪方面の尖石遺跡とか中央高速の釈迦堂インターの遺跡などと比べると明らかに違う雰囲気である。ところが、勝坂式とか加曾利式の中に東海地方の中富式や東北地域の大木式の土器が混じっているのだ(埋蔵文化財調査センターのパンフレット参照)。

 どうも、例えば結婚の配偶者が東北から来たり、そんな交流が他の日本各地とあったようなのだ。当時の交流は土器だけでなく、食物とか黒曜石(これは、霧ヶ峰方面や伊豆七島の神津島産が多いことが判っている)、ヒスイ(これも産地は限られ、糸魚川方面とか)から地域交流が分っており、驚いてしまう。

 現代では、東京など配偶者が同じ地域というのも少ないくらいで、私も妻は関西で立派に縄文時代からの伝統?を引き継いでいるように思う。しかし、関東と関西は食事の時の味付けにはじまり、文化の差が結構ある。気候・風土と身体の問題。底に流れる精神的文化の違い(縄文や弥生・・・)などが絡み、実際に結婚してみるとちょっとしたカルチャーショックを覚えるのではと思う。

 それから、現代では年齢の差などでも随分違うように思う。文化の世界的な融合(資本主義社会の物凄い影響だと思うが)で、日本でも文化の底に流れる古層の文化が忘れ去られるところがある。身近なことだと、歯を磨く風習であるが、私の幼いころは、食事の前に歯を磨けとしつけられた。これは、多分縄文からの伝統?で食物を神聖なものとし食物を迎える準備だと思う。それが、今は虫歯予防という観点から、歯を食後に磨くことが奨励されている。同じ文化といっても、時間の変化の中でもカルチャーショックは起こるのだろう。

 自分が汗水流して、実際に獲得した習慣や価値の外に、周りから「あたりまえ」の習慣や価値も引き継ぎ、あたかも自分で獲得したように思いこむのが私たちだ。そんなことで、家庭内でストレスを感じたときに、いたずらに不安感や怒りを個人んに爆発させる前に、自分の当たり前、あいての当たり前が何かを文化の差として確認することが必要なようだ。

 例えば、私は夜の電話は受け容れない世代だが、子供の世代はそうでなかったりする。しかし、お互いの常識がなぜ常識なのかを互いに話会うことが必要なように思う。

 ただ、冷静に話せない部分もあるかもしれない。意識の世界だけでなく人には無意識の世界まであるからだ。ロジャースの人格形成理論から「自分以外の他人は驚きの対象」と言う人もいるが、意外に真実をついている。いくら愛し合っている相手でも、他人は驚きの対象なのだから、訳の分からないところを誰もがもっていると考えれば、楽になれる。

私とあなた ② 2/10

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文化の差の中でヘンになること!(私とあなた ② 1/10)

2014-09-17 | 第八章「魂と聖霊」

 7歳の時にアラスカで一年暮らしたのだが、その時の記憶は今でも結構残っている。その前後の記憶と比べると格段の差だ。当時は日本は貧しい国であったから、食べ物も暮らし方もすべて新鮮で驚きであった。しかし、おそらく7歳のわたしにとっては急激な環境の変化(言語、習慣、友達)になじめなかったところがあったようだ。

 そんな中、ある日。胸が痛くなりちょっとしたパニックに陥った。病院に行ったが何でもないとのことだった。今から考えると、ストレス曲線が身体症状にまで登ってしまったようだ。文化の差は、馴れるまで実にストレスが多い(自分の日々の当たり前が異なっているので、そのギャップが不安感として蓄積されるのだろう)。

 しかし、隣に住む子供たちと仲良くなったり、学校でも良き理解者の教師に出会ったりするなかで、次第に心を開きヘンなことを乗り越えて行ったようだ。文化の差も、愛があれば何とか乗り越えられるようだ。勿論、この愛についてはいろいろ思索する必要があるのだろうが。

 さて、U先生の生き甲斐の心理学で最近の大きな話題は、日本人の心の文化である。U先生は①ケガレとミソギ②恥の文化③甘えの構造④もののあわれ⑤侘びと寂⑥幽玄の美である。西欧文化とかの対比等大きな括りで考えれば、そうなんだろなと思う。現に、自分がヘンになったときに私を襲ったのは、勿論生育史の問題故だと思うが、多分ケガレとミソギとか恥の文化だったように思う。

 しかし、同じ日本といっても地域の文化の差はあるようだ。私は母方の祖父母と幼いころから一緒に暮らすなど大きな影響を受けたが、祖父は純粋の江戸っ子。祖母は京都・関西の育ち。その文化の差は、私にまでストレスとして伝わってきたように思う。この他に父と母の文化の差もあったかな。東京と広島だし。

 最近、私は縄文文化をいろいろ勉強している。縄文文化といえば、誰でもちょっと風変わりな土器や土偶をイメージし、ちょっと異質な文化を想像してしまいがちだが、勉強すればするほど、自分の中に縄文が生きているように思えてきた。物的に時代を経て残るものは限られているが、例えば、漆器は日本で12,000年くらい前のものが見つかっているので、縄文時代では結構使われていたようだ(殆どが消失しているのだろうが)。また、祭祀等の宗教等も日本書紀のオオゲツヒメやウケモチノカミなどに繋がりそうな女神の文化として、歴史書や民話の中に継がれているようだ。

 昨晩もハッとしたのだが、今度10月に行う予定の新宿での勉強会で触れる新宿・定礎伝説も、文脈からすると日本の民話に残っている地母神の話と繋がるようなのだ。

 これに対しての弥生の文化も現代の日本人にも随分影響を与えているようでもある。自分の中の弥生も現実の生活の中で、ストレスを産みだしているのだろうか、それはどんなものだろう。妄想は尽きない。

 ともあれ、身近な私とあなたの関係の中で、文化の差を思い出すことは大事だと思う。

 (*写真は東京都埋蔵文化財センター内での田端遺跡の展示。)

私とあなた ② 1/10

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寄り添う事態に人はどうするか?(私とあなた ① 10/10)

2014-09-16 | 第八章「魂と聖霊」

 「花子とアン」。秋眠の中何とか起きて観たが、今日は終戦の場面であった。白蓮さんの白髪になる尋常でない悲しみ、食糧の無い悲惨、価値観の大変換、いろいろ考えさせられた。

 第二次世界大戦の終戦は、随分教えられたり感じたりもしたが、人はいろいろ忘れたりする生き物のようだ(特に私は)。その悲惨さをどの程度血肉化していたのだろうか。

 国と国が戦う戦争も、歴史上では第二次世界大戦の外に、古代、唐・新羅の連合軍に敗戦し終戦を迎えたこともあった。この時は大宰府に2000人の唐・新羅軍が駐屯したのだが、国名も倭から日本に変わったくらいなので、大きな悲しみや大変換があったのだろう。しかし、白村江で戦った人の敗戦の和歌など全く万葉集にさえ残っていない。逆に、無いことで戦争の傷跡の大きさを知ることができるようだ。

 天気がここひとつで丹沢や富士山は良く見えなかった。絶景の写真を一度は撮りたいと誓った!

    

   

 さて、昨日は京王線の多摩境駅の近くの田端遺跡に行った。縄文遺跡は住居跡等がいたるところに東京・多摩にもあるが、ストーンサークルは珍しいようだ。3500年ほど前の縄文後期から晩期にかけての祭祀遺跡で9mX7mの楕円形のストーンサークル。太陽がもっとも弱くなる冬至の夕日が、入る方角が丹沢の最高峰・蛭ガ岳であり、楕円の長軸の方向だ。それこそ死と再生の場所だったのだろう。

 そして、丹沢の奥には頂上付近ではあるが富士山も見えるという(位置は蛭ガ岳とずれるが)。ちょうど3500年前は富士山も噴火を繰り返していた時期であり、力を無くす太陽と富士山の噴煙も祈りに関係があったかもしれない。

 縄文後期から晩期の生きにくい時代、私の祖先たちは、それこそ白髪になるような悲惨の中、寄り添い総力を挙げてこのストーンサークルを建設したのだろう。信じて観えた世界は、何だったのだろうか?

私とあなた ① 10/10

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