田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

秋いろの町内 信州教育の礎 保科百助五無斎先生を学ぶ

2009年10月18日 | 日記
10月18日(日) 快晴  心地よい秋晴れ 爽やかな一日

昨夜の雨もすっかりあがり清々しい朝の光が明るい。
外に出て見ると既に朝日が届き庭の木々も埃を現われて清々しい。
愛息Salaはガラス戸と障子の間20cmくらいのところへ入り込んで日向ぼっこに興じている。
太陽がでれば必ずここへ入り込むのだが今では障子を破ることもなく器用に開けて陣取っている。


玄関わきの花が盛りが終わったツワブキにはスズメ蛾の仲間“ホシホウジャク”がホバリングをしながら蜜を吸っている。
翅は小さいながら重たそうな身体を空中に浮かせているのは、彼自身は身体が重たいことを知らないのだろう。


午後は町内の偉人≪保科百助五無斎先生≫の伝記を紙芝居にすると云うグループに誘われて津金寺へ出かけた。


五無斎先生生家のある山部の津金寺は幼少期には境内を遊び場としたことから死後偉業を讃える碑が建てられている。
境内は椛が色づき秋の色濃く見せていた。


五無斎先生の研究者である竹花初雄先生の優しい語り口調で、五無斎先生が尋常小学校へ入学したとき
江戸時代から地域の郷蔵とされていた建物を改修して学校にしたこと。
後、昭和60年竹花先生が山部の区長をされていたときに山部学校を修復した話など興味深く知ることができた。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/gaiyo/bunkazai/236/000223.html
建物の屋根には鯱鉾が載せてあり、四隅の鬼瓦には『学』の字が掲げられている。
明治6年から破損することなく維持されているのは集落挙げて大切に維持していることからだろう。


この建物の正面は東を向いているが俺が好きなのは西側から見る建物のシンプルな姿だ。
日本古来の建築ながらモダンなデザインが北ドイツの建物を思わせる。
二階は講堂となっているが、その北側に出窓のようなものが見えるが、俺はこれを手洗い場で後につけられたものと思っていた。
今日の先生の話で判ったのだが、明治の教育勅語発布に合わせ掲げる場所として設けられたものだと云う。
明治政府の時代から天皇を利用して格式を保つものとしながら軍国へ向けて邁進してしまったとのことだ。


山部学校の次は五無斎先生の墓所を御参りし、32歳のときに蓼科高等小学校・蓼科実業補習学校(現:長野県立蓼科高等学校)校長に赴任したときに寄宿した近くの寺「完聚院」へ伺い曾孫となるMY氏に話を伺った。
太陽は西に沈み既に車のライトをつけての帰路となったが楽しい一日だった。
紙芝居の絵を描くYさんも同行したのでより現実味を帯びたものができることだろう。
コメント (4)
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