3月4日(木) 曇り 冷たい風 午後から 雪が舞う
朝、窓の外がなにか変だ・・・
視覚的よりも気持ち的に変なのだが庭を見渡しても代わりがない。。。
集落をぐるっと取り巻く山を見て右から左へ・・・いつもの崖の上の楓がない。
夕べは風が強く戸袋のなかの雨戸をガタガタ言わせていた。
がけの下を見ると根を上にして木が横になっている。
急いで崖の下の公園まで行ってみると、左側から落ちて坂の下りにあわせて右側に回転したようだ。
根は崖の上につながっているのが見える。
少しだけ登ってみると僅かな風でもパラパラと土が落ちてくる。

いつかは落ちると思っていたのだが・・・・・
毎年冬になると泥炭層の黒い塊がボロボロ落ちてきていた。
太平洋戦争の頃には燃料を得るために横穴を掘り泥炭を掘って商いになったという。
その後は近くのバイパスを作るときに崖を切り崩して土を使ったそうだ。
3億年前の地層と云うことでその昔は沼だったそうだ。
泥炭の他にも黄色い土壌はケイ素土として壁材に使われたという。
脆い地層故にいつかは崩れることを樹自信が知っていていたのだろう。
半月ほど前の2月の極端に気温が下がったときに、今日を察して花を咲かせた。
見事な雪化粧よりも崇高で気高い姿を感じたものだった。

無残ながら人を寄せ付けない厳しさを目の当たりにした壮絶な生き様だったのだろう。
この樹の根元には屋敷神様の祠があったのだが大丈夫だろうか?
俺がこの場所に初めて来たときには、この崖の上の3本の太い松の樹とこの楓に見せられた。
既に10年も経つのだが未だにその姿が瞼に焼き付いている。
一つの株から何本も幹がでて樹形を整えていた.
残った僅かな根と樹はこれからどのような生き様を見せてくれるだろう。

この崖を借景にした公園を作ろうと企画したのは2005年の春だった。
住民総出で山を削り田圃だった平地に暗渠を伏せた大土木工事を良くぞ見守ってくれた。
古代からの地形を人の手でしかも、住民の総意で果たした結果、今では憩いの場として集落にはなくてはならないものとなっている。

公園が企画されたころは手前の斜面は竹藪に覆われていた。
それでも崖の天辺の楓には夏になるとフクロウが神社の森とこの樹を行き交ってはホホホーウと啼いていた。
晩秋になるとどこからから集まる椋鳥の大群が葉が落ちた枝先に実を付けたように群がって騒ぎ立てた。
今ではこの崖下の公園にバス停までできて、四季折々の美しい姿を見せてくれると信じていた・・・・

昨年の秋には見事な紅葉を楽しませてくれた。
この姿を公園の四阿で長い時間眺めていたことを思いだす。
見ず知らずの土地に移り住み、今の自分がこの地を好き以上に愛するまでになったのも崖の上の樹に依るものだろう。
責めて残った僅かな根と木が再び生長して初夏の明るい新芽、夏の深い緑、晩秋の紅葉を見せてくれるようになって欲しい。
厳寒期の氷の花は当分はお預けでも良いのだから。

朝、窓の外がなにか変だ・・・
視覚的よりも気持ち的に変なのだが庭を見渡しても代わりがない。。。
集落をぐるっと取り巻く山を見て右から左へ・・・いつもの崖の上の楓がない。
夕べは風が強く戸袋のなかの雨戸をガタガタ言わせていた。
がけの下を見ると根を上にして木が横になっている。
急いで崖の下の公園まで行ってみると、左側から落ちて坂の下りにあわせて右側に回転したようだ。
根は崖の上につながっているのが見える。
少しだけ登ってみると僅かな風でもパラパラと土が落ちてくる。

いつかは落ちると思っていたのだが・・・・・
毎年冬になると泥炭層の黒い塊がボロボロ落ちてきていた。
太平洋戦争の頃には燃料を得るために横穴を掘り泥炭を掘って商いになったという。
その後は近くのバイパスを作るときに崖を切り崩して土を使ったそうだ。
3億年前の地層と云うことでその昔は沼だったそうだ。
泥炭の他にも黄色い土壌はケイ素土として壁材に使われたという。
脆い地層故にいつかは崩れることを樹自信が知っていていたのだろう。
半月ほど前の2月の極端に気温が下がったときに、今日を察して花を咲かせた。
見事な雪化粧よりも崇高で気高い姿を感じたものだった。

無残ながら人を寄せ付けない厳しさを目の当たりにした壮絶な生き様だったのだろう。
この樹の根元には屋敷神様の祠があったのだが大丈夫だろうか?
俺がこの場所に初めて来たときには、この崖の上の3本の太い松の樹とこの楓に見せられた。
既に10年も経つのだが未だにその姿が瞼に焼き付いている。
一つの株から何本も幹がでて樹形を整えていた.
残った僅かな根と樹はこれからどのような生き様を見せてくれるだろう。

この崖を借景にした公園を作ろうと企画したのは2005年の春だった。
住民総出で山を削り田圃だった平地に暗渠を伏せた大土木工事を良くぞ見守ってくれた。
古代からの地形を人の手でしかも、住民の総意で果たした結果、今では憩いの場として集落にはなくてはならないものとなっている。

公園が企画されたころは手前の斜面は竹藪に覆われていた。
それでも崖の天辺の楓には夏になるとフクロウが神社の森とこの樹を行き交ってはホホホーウと啼いていた。
晩秋になるとどこからから集まる椋鳥の大群が葉が落ちた枝先に実を付けたように群がって騒ぎ立てた。
今ではこの崖下の公園にバス停までできて、四季折々の美しい姿を見せてくれると信じていた・・・・

昨年の秋には見事な紅葉を楽しませてくれた。
この姿を公園の四阿で長い時間眺めていたことを思いだす。
見ず知らずの土地に移り住み、今の自分がこの地を好き以上に愛するまでになったのも崖の上の樹に依るものだろう。
責めて残った僅かな根と木が再び生長して初夏の明るい新芽、夏の深い緑、晩秋の紅葉を見せてくれるようになって欲しい。
厳寒期の氷の花は当分はお預けでも良いのだから。
