田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

御柱とされる樅の木 哀れな姿は見る影もない 

2010年03月11日 | 日記
3月11日(木) 曇り   晴れ  風は冷たい



久しぶりに青空が広がった。
浅間の山も長い山麓を隠すことなく全ての姿をさらけ出した。
山裾の集落では家々の屋根は雪に覆われている。
青空が広がっても太陽の光でビシャビシャ溶け出すことがない。
風が冷たい・・・・
いつもなら舗装してある道で我が家のような南に向いてしかも、坂になっていれば大概は雪は溶けるのだ。
今日は特別なのか、三月の機構にしては冷たい風が吹き雪が溶け出すのに待ったを掛けた。

夕方のTVのニュースで諏訪の祭り、“御柱"で使う樅の木を立科町の女神湖近くの国有林で伐採したと言う。
前回の7年前に続いて同じ地域から切り出したことになる。
祭りに使うのだから『ご神木』という大義名分の元大勢の氏子が入り込んでの伐採も祭りの一つとなっているそうだ。
しかし、一般的には数本の樅の木を斬る・・・樅の木は建築材になるわけでもないし・・・・
いいじゃなか!!っていうの大方の考えだ。
しかし、数本の樹を斬ると云っても其れを運び出すときには山はゲレンデのようになってしまう。

事実、7年前に運び出したとところは植林をしたとはいえ、昔のように戻れるのだろうか?
若い木の新芽は鹿に食われてしまい、樹皮も剥がされているをみる。
本来、ご神木になるために植えられた諏訪社の森があるのだ。
そこで育っている樹は何時の日かご神木となって町内を引きずり回される幸せを夢見ているのだろう。
しかし、祭りに使われるまでには育ってないのだ。
それは、祭りを司ってきた人々の計算違いだったのだろうか?

自分のところの斬るべき樹がないから他へ云って幹周り数メートル高さ30m迄になった樹を切ると云うことが理解できない。
切るべき樹が育たなかったら祭りを順延し、樹が育つのを待つべきだろう。
立科の樹を斬ったために、その周囲が苔に覆われていた美しい姿が消えた。
7年前に斬られた場所は観光地化にしてトレッキングコースとなっているが・・・・
古い切り株を見に行く人がいるのだろうか?

これから育つ樅の木たちは どんな気持ちだったのだろう
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする