田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

春とは 一歩進んで二歩もどる のだろう

2010年03月19日 | 日記
3月19日(金) 霧   晴れ   快晴   暖かな一日

昨日はブログにボンヤリした浅間のことを書いたが・・・
浅間山が密かに読んだのかもしれない?
すっきりとした秋から冬へ逆戻りしたような姿を見せた。

                  《午後遅くの浅間山》
朝の上空の空は低く黒い雲が垂れ込めていたが霧が発生しそれが風に流されるのと共に何処へか消えた。
我が家から二つの山を越したところの山の落葉松が霜に覆われているのが見えた。
日差しが強く射すと美しく光り輝くのだが・・・生憎今朝の太陽は元気がなかった。

              《朝の笠取峠上の降霜した落葉松》
昼過ぎには役場へ行き書類を提出してから、念願の眼鏡を受け取りに佐久までいった。
メガネ屋も車で30分ほどの道のりになる。

眼の手術をしてから3ヶ月が経ち、左右の視力が合わないまま過ごしてきた。
この三ヶ月は物を見るのには無意識に右目を閉じていたようだ。
特に本を読んだりパソコンは左目を使っていた。
眼鏡で視力の補正をすることでガチャピンが直るかもしれない?
これで安心して人前に出られるだろう。
今までは、右n眼面にでんでん虫と云うかエスカルゴ状の物が着いているように思えてならなかった。
そんな馬鹿な??と人は云うが、小心者の俺の心の中は計り知れないだろう・・・・
ブツブツとおかゆを炊くわけではないが、カタツムリの状態から解放される嬉はひとしおだろう。
そんな馬鹿なことを思うなか、今日も浅間は夕焼けには至らす夜の帳消えていった。
       
                 《静寂な暮れゆく浅間山》


久しぶりに夜のTV真剣にみたが、
NHKBSの『留用された日本人』
という番組に感動した。
こう言うことがあったことも知らなかったが・・・

番組の内容は
《第二次世界大戦終了後、中国共産党は旧満州にいた日本人に様々な労働を要請する“留用”を始めた。留用された日本人たちの証言を記録したこの番組を振り返る。》

『第二次世界大戦が終わった後、中国共産党は蒋介石の国民党との国共内戦の中、旧満州にいた日本人にさまざまな労働を要請する“留用”を始めた。戦後、日本へ戻ることもかなわぬまま、共産党とともに国共内戦への従軍や鉄道建設、炭坑労働など過酷な体験をした人々。そして、彼らはまた帰国後さまざまな形で日中の友好活動に携わった。日中国交正常化30周年を記念して、留用された日本人たちの証言を記録したこの番組を振り返る。』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする