田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

600gのシアワセって なんだろう

2010年03月16日 | 日記
3月16日(火) 曇り  小雨  時々 音を立てて降る  

朝には柔らかい日差しが射したが直ぐに霧がでて徐々に濃い霧となった。
小雨  夜半にも音を立てて雨が降っていたが・・・・

我が家に来て二日目となる巨人?Argoは既に自分のエリアのようにリビングを駆け回っている。
7gの食事もペロリと平らげた。


昼には友人が尋ねてくることになっているので昼飯の用意をした。
昼飯と云っても簡単に済まそうとPizzaを思いついたので強力粉を一人100gとした。
400gの粉に25%の水、少量のオリーブオイルに塩を少々・・・
ベーキングパウダーやイーストは使わないのが好みだ。
捏ねて丸めてベンチタイム・・・・っと
ここまでは落ち着いてカメラを手にしたが・・・友だちが来た頃には広げて焼き皿に広げ・・



トッピング???畑の葉物野菜は今は望めない・・・とチョリソーを切り分けてチーズをのせた。
その前にトマトが主体のソースをたっぷり・・・と云いたいが、ArgoやAalaが足下に巻き付き・・・
レタスのスープはMが作り皆の腹の中に収まるまで写真撮影のことは忘却の彼方へ飛んでた。

Salaは昼飯を食さないが?・・Argoは朝飯と同じ7gを腹に収めた
イタリアンなコーヒーと共に続く会話は全てArgo一色になっている。
手のひらサイズの彼は常にカメラ目線とタレント犬の素質を持ち合わせているようだ。


600gのシアワセとでも表現できるのか・・・
何れは小悪魔となって危険なシワヨセがやってくるかもしれない・・
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チャンピョン Argo と言うの 

2010年03月15日 | 日記
3月15日(月) 暖かい 曇り日  午後から 小雨  時々強く降る 夕方からは雨

昨夜遅く友人が王様を届けてくれた。
フランスのチャンピョン?が親だと云うが・・・・
我が家ではあまり必要としない肩書きなのだが、なにしろ可愛い。
その鳴き声は絹糸を金のスティックでこすったような軽やかな音がする。
夢中になっているのは俺たちだけではなく愛息Salaもいままでこんなにきゅーきゅーと鳴き声を上げたことはない。
 

そんな嬉しい朝を迎えたが庭でもいつもの夫婦鳩がきていた。
ニシキギの植え込みのなかヤマボウシの枯れ葉が溜まっている所でしゃがみ込んでいる。
丸でだまし絵のように・・・二羽のキジの文様が枯れた枝葉に擬態をしているかのように見えた。
このところの暖かさで雪が消え彼らが餌を探すには不自由のない庭になっている。


Salaが霧中になってケージの脇にすり寄るのだが、12月28日生まれ・・・
3ヶ月に満たない子犬のこと朝昼夜の食後に30分程度自由に歩かせるだけ、
あとはケージのなかでひたすら寝ることを仕事にしている。

名前はArugoの決定した。
Salaとてさほど大きくはない犬種だが、Arugoは彼の頭ほどの大きさだ。
餌も一回が7gで良いという。
これにひとつまみの犬用の粉ミルクを水に溶いてやる。
そんな小さい身体ながらSalaに対してはしっkりと犬とした態度を示しているのがすごい。

こんな話を進めると親バカ丸出しと云われそうだが。。。。
Arugoと銘々した蘊蓄を聞いてもらいたい。
『Arugoとはギリシア神話で・・・・・
英雄イアソンをはじめ黄金の羊の皮を求める五十余人の冒険者たち(アルゴナウタイ)を乗せたという巨船』だと言うことだ。
どうってこと無いジャンって云われそうなのだが・・・小さな巨人に相応しい名前だと自負している。

親ばかチャンリンに代わりはないが・・・これからのブログに登場する回数でSalaが僻まないようにしよう。


そんな暖かな日差しを感じる頃、庭で何かが動いた。
カメラを構えて見渡すが何もいない・・・・
突然リビングの前の桜の木にモズが止まった。
猛禽類らしい曲がった嘴を僅かに開けているのは口呼吸をしているのだろうか?
鳥は熱いときには口からしか熱を発散させられないと云う。

午後の会議に続き夜7時からの会議は年度末の始末を付けなくてはならず3時間経過してやっとめどが付いた。
おにぎり弁当を出してもよいからたっぷりとした時間で充分な議論を重ねたい。
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暖かい日の 公開講座は初めてのことだ

2010年03月14日 | 日記
3月14日(日) 晴れ  暖かい 風もなく穏やかな一日

毎年この時期に町の歴史をテーマにした『町民歴史公開講座を』を開いている。
開いていると云っても俺が開くわけではなく・・・・
会員数27名の『たてしな歴史研究会』が主催となり、後援は町の教育委員会が担ってくれている。
実際には後援をお願いしながらオンブにダッコと虫が良い話だが・・・
会場の使用料、拡声装置、レジュメの印刷、そして、看板の印刷までお願いしている。
これらは教育委員会の担当者YK氏の“痒いところに手がとどく”を絵に描いたような手厚いホローに助けられている。


俺が会場に着いたのは12時少し前・・・ まだ誰も来ていない。。
少し早いが会場の机と椅子並べなど、できることをしているところにYK氏が到着。
印刷した看板、レジュメ・・・等を段ボールに入れて持って来てくれた。
大方の準備ができたのは1時少し前だった。
会員もぼちぼち来ても良いのでは?と思い・・・控え目にY氏に今日の集合時間を尋ねると13時だという。
俺は1時間前が集合時間と勘違いしていたが・・・会員へ案内ハガキを出したのは俺なのだからどうしようもない。


2時開講と云う前には既に用意した席は埋まり、遅れてきた人を含めて64名が受講してくれた。
今回の講師は前町長の遠山氏、地元の歴史には詳しく地域史研究家と紹介している。
町長になる前には役場の職員として、隈無く町内を歩き、石仏や集落のなりたちなどの著書がある。
今回のテーマ『中山道と芦田宿の成り立ち』と題して・・・・
遠山氏の幼少の頃の芦田宿が時代の趨勢で形を変えて来たこと
江戸から続いた景観を時代に合わせ請われる侭に変えた行政のことなどを惜しむ口調がよかった。
氏特有の人なつっこく、立科の言葉を織り交ぜながらの話術は楽しかった。
2時間たっぷりの後援は分厚いテキストに沿っての有意義な物だった。


閉会してから会員での懇親会は短時間ながら楽しい話題で盛り上がった。
家に帰るとMは他のボランティアで出かけていたが先に帰っていた。
キッチンでは地元産小粒のイチゴが店に出だしたと云いながら・・・
イチゴ大福が並び始めた・・・ 
春の香りがする大福・・・・この大福たち立科の風に乗って何処へいくのだろうか??
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南の強い風 雪を溶かし 春を一歩前へ

2010年03月13日 | 日記
3月13日(土) 陽は出ない 夜半から強い風  曇り  昼から雨

朝方から猛烈な風がうなり声を上げ、南東の角が振動してるように感じた。
風が吹き鳴らすビュービュー云う声で寒さを感じたが、同時に屋根からおちる滴が見えた。
太陽が出る時間には未だ間があるのに屋根の雪が溶けている・・・・
南から風・・・夕べの天気予報で北に低気圧が集まるので南からの風が吹き込むと報じていたのを思い出した。


昼前に少しだけ風が収まったので雪が溶けた庭を見にでた。
オオイヌノフグリが鮮明な碧を輝かせて開いていた。
カメラに納めた画像を見ると良く言えば「ソフトフォーカス」見た目はボンヤリ・ピンボケだろう。
これは俺の目のピントが合ってないために・・・・こんな言い訳も新調した眼鏡が届くまでの言い訳だ。
3ヶ月近く物の見方を目のせいにしてきたので、言い訳も口癖になっているのだろう。


昼飯のあとにMが庭に黒い焦げた物が落ちていると云って掌の上に乗せて持ってきた。
彼女は近くで山火事でもあったのだろうか?と云う。
よ~く観ると表面がザラザラして石炭殻?のようで俺の手に乗せると軽い・・・
黒光りするところからストーブの煙突に着いたタールが焦げたものと云うことが判った。


夜中から吹いていた突風で煙突に付着していたものが剥がれて落ちて来たのだろう。
これが高温になって煙突の突端で赤く燃えているのが落ちてくれば火事になるのは必至のことだ。
10m以上高さがある煙突だから、燃えているときには火の粉が飛ぶようなことはないだろうが・・・・
煙突掃除も昨年の2月にやっているが充分に用心に越したことはない。


外は風も収まったので再び外へ出て畑の方に向かった。
畑では沢山の種を抱えて小鳥たちを迎えていたヒマワリが倒れていた。
近くに寄って見ると種は全て小鳥の腹の中に収まったようだ。
彼はきちんと外側の皮をむいて中身だけ食べている。
役目を終えたヒマワリは横になりやがては土に帰ることだろう。


強い南風で運ばれた春・・・
しかし、雪が溶けても・・カレンダーが4月の半分を見せても
梅のつぼみはまだまだ堅くしっかりと閉じていた。


待ち遠しかったと云わんばかりに雪に押さえつけられていた蕗の薹が顔を見せた。
雪が溶け湿り気を充分すぎるほどもった土に新鮮な明るい春色の緑
この明るい太陽の光を含んで花の蕾が顔を出した。
苦みがある春の香りを楽しませてくれる。
あまりにも鮮やかな色に、一つだけつまんで持ち帰ることはできなかった。
あと二三日もすれば沢山顔を出すまで待つことにしよう。
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術後のガチャピンからの脱出 メガネを新調した

2010年03月12日 | 日記
3月12日(金) 晴れ  昨日に続いて 快晴  暖かい  

年度末と云う言葉だけで何となく追われていたが・・・・
実際にはたいした仕事もしているわけでもなく・・・・
3月から4月に変わるというトラウマ的な年度末に追われている。
そんな今日Mが、買い物に行かないと間に合わないと云う。
何に間に合わないのかは定かではないが・・・
俺も時間をつくる心の余裕がないまま来てしまったのでタイミングを合わせて佐久へ向かった。

昼飯の時間に掛かってしまうので先に飯にしようと決めて、いつものそば屋へ行った。
俺は盛りそばと決めているがMは迷ったあげく、「お煮かけうどん」なるものを頼んだ。
これは先月たてしなエコ・クラブのイベント「エコを楽しむ一日」参加者と小麦粉を捏ねたうどんに、根菜類の煮物をかけて昼食とした。
運ばれてきた“お煮かけ・・・"を見ると俺たちが作った物とは見た目が違う。
やはり商売人が作ると見た目も美しくなければいけないだろう。
俺たちのはうどんも根菜類もぐちゃぐちゃに混ざったものをどんぶりに入れたものだった。


飯を終えてから俺はメガネ屋へ向かった。
12月の15日に右目だけだが緑内障と白内障の手術をしたので、その後はピントが合わないまま過ごしてきた。
パソコンのように平面的な物を見るのはなれたが左右のピントが違う目で動く物を見ると頭が痛くなる。
医者に行く度にメガネはいつ頃・・・・と聞くと「眼圧が安定したらよいですね」と同じ答えを聞いてきた。
前回の診察でやっとOKがでたので楽しみだった。

メガネ屋で検査をするが病院での検査と同じような機械なのでなじみがある。
特に視力検査は小さい文字になると悩んだ末・・どうしても見ようとする。
見ようとするから語尾が曖昧になり・・・病院でも同じだった。
ところが、病院では検査技師が・・メガネ屋さんでは商売人が担当する。
この2者の違いは大きく、病院では聞かなかった台詞を聞いた・・・
俺がたぶん!!っと思いながら『ミギ』などと云うと、担当の店員は“そ~ですね"などと云相づちを打ってくれる。
これは病院はなかったことだ。

レンズを重ね合わせてはめ込むことができる検査用メガネをかけて、店の外を歩いてくれと云う・・・
階段やエスカレータの見え方を試して欲しい云うのだ。
しかし・・・これには俺も少々と云うか即座に断った。
もし、町でこの手のメガネをした人と出会ったら・・・
ギョッとするだろう。

    《写真で見ると検査用のメガネも俺に似合うもののように思える》
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御柱とされる樅の木 哀れな姿は見る影もない 

2010年03月11日 | 日記
3月11日(木) 曇り   晴れ  風は冷たい



久しぶりに青空が広がった。
浅間の山も長い山麓を隠すことなく全ての姿をさらけ出した。
山裾の集落では家々の屋根は雪に覆われている。
青空が広がっても太陽の光でビシャビシャ溶け出すことがない。
風が冷たい・・・・
いつもなら舗装してある道で我が家のような南に向いてしかも、坂になっていれば大概は雪は溶けるのだ。
今日は特別なのか、三月の機構にしては冷たい風が吹き雪が溶け出すのに待ったを掛けた。

夕方のTVのニュースで諏訪の祭り、“御柱"で使う樅の木を立科町の女神湖近くの国有林で伐採したと言う。
前回の7年前に続いて同じ地域から切り出したことになる。
祭りに使うのだから『ご神木』という大義名分の元大勢の氏子が入り込んでの伐採も祭りの一つとなっているそうだ。
しかし、一般的には数本の樅の木を斬る・・・樅の木は建築材になるわけでもないし・・・・
いいじゃなか!!っていうの大方の考えだ。
しかし、数本の樹を斬ると云っても其れを運び出すときには山はゲレンデのようになってしまう。

事実、7年前に運び出したとところは植林をしたとはいえ、昔のように戻れるのだろうか?
若い木の新芽は鹿に食われてしまい、樹皮も剥がされているをみる。
本来、ご神木になるために植えられた諏訪社の森があるのだ。
そこで育っている樹は何時の日かご神木となって町内を引きずり回される幸せを夢見ているのだろう。
しかし、祭りに使われるまでには育ってないのだ。
それは、祭りを司ってきた人々の計算違いだったのだろうか?

自分のところの斬るべき樹がないから他へ云って幹周り数メートル高さ30m迄になった樹を切ると云うことが理解できない。
切るべき樹が育たなかったら祭りを順延し、樹が育つのを待つべきだろう。
立科の樹を斬ったために、その周囲が苔に覆われていた美しい姿が消えた。
7年前に斬られた場所は観光地化にしてトレッキングコースとなっているが・・・・
古い切り株を見に行く人がいるのだろうか?

これから育つ樅の木たちは どんな気持ちだったのだろう
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嵐  冬に引き戻された春

2010年03月10日 | 日記
3月10日(水)雪  やがて 雪はやみ 晴れ  突然の暴風雪 雪雲は去った

今日も雪・・・重たい雲が地上との境を雪でかき消している。
積もった30cmは優にあるだろう・・・・
新聞屋はこのところ威力を発揮できなかった4WDの車で雪を押しのけて坂を登ってきていた。
郵便屋さんは9時過ぎには来るので其れまでには雪かきをしよう。

重い雪だ・・・軽トラの奥に除雪機があるが・・・・
これほど湿り気が多い雪では使い物にならない。
プラスティックのスコップで救っては投げる・・を繰り返す。
一休みしながら北側の石積みを見に行くと僅かに石が見えるほどに積もっている。


再び作業を始めようとしたときに、ザザザ~と重たい音を立てて太陽光発電から雪が落ちた。
雪崩だ・・・・・大げさに言えばか“大深山発電所で雪崩"と云う見出しになるだろう。


近くで子猫の啼くミャァ~ミャァ~・・・と聞こえる。
まさか、太陽光パネルの下のわら束のなかで猫が子どもを生んでしっまたのか!!
ジッと耳を声の方に集中すると高いところから聞こえる。
カワラヒワ? だろうか??
羽の色からするとカワラヒワに似ているが逆光なので判らないが電線に止まっていた。
早く餌のあるところの雪かきをしろっと云っているようだ。


一通り雪かきを終えて明るくなった雲から僅かに日が射してきた。
東の集落の突端にある落葉松林を見ると何となく赤い・・・・春だ。
森の木々が新芽を出すときは赤い色をしているという。
春が近いことを思うと雪かきで汗びっしょりになったことを感じた。
今までになく沢山降ったが空気は冷たくないのだ・・・春の嵐が冬を引き戻したのだろう。


午前中は公民館に提出する書類を印刷したりしてから、Tさんの家に向かった。
ふるさとプロジェクトのウォーキングコースに建てる案内板を作り直す作業をすることになっている。
今までは見にくいと云うこともあり、白地に黒で書いた紙を板に貼り付けた。
あとは乾いたらニスを上から塗って仕上がりだという。


夕方には青空が広がったところで夕焼けを期待したが。。。。
浅間も雲に頭を隠して夕日もなんとなく色づかないまま暮れていった。


雪で空気がきれいになったのか常習の荒船山がクッキリと見えた。
美しい山の姿・・・僅かに紅に染まった雲が美しい。


集落から町へ向かう唯一の道は既に外灯が灯り俺の好きな時間帯になった。
具合良く一台の車が町へ向かう。
夜の帳が降りる寸前だった。


7時からはたてしなエコ・クラブのスタッフミーティング・・・
いつもの仲間なんとなくノンビリとした時間を過ごした。
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轍も直ぐに消されるほどの雪・・そして ゆき

2010年03月09日 | 日記
3月9日(火) 霧  雪が舞う   本格的な冬型の雪 積もる



霧が夕べ降った雪を隠すくらいに濃く広がっていた。
もしや、天気予報を覆し青空が広がるのだろうか?

昼過ぎにMが帰ってきたが外の温度はマイナス1℃だと云う。
彼女の車には外気温時計が着いているので、何故かそれが気になるようだ。
町から帰ってくると“ここワヮ 町より 3℃も低いィ~" と云うのは良く聞く台詞だ。
風がものすごく強くなって雪を被った竹が揺れるたびに雪煙があがる。
昼頃までは雪も湿り気が多いのか舗装したところは溶けて黒く見えていた。

ところが3時前にMが出かけるという頃には道路も真っ白くなっていた。
歯医者へ行ってから友だちの所へ行くという
雪が降っているから友人もいえにいるのだろう、
いつもと変わらないスピードで坂を下っていったが・・・・
TVのニュースではここから南へ1km暗いの国道142号線笠取峠は事故で交通止めになっているという。

外は本格的な冬の姿に変わり横殴りの風と雪で集落の家並みは白く消されている。

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定番の淡雪と云いながら しっかりと降り積もっている

2010年03月08日 | 日記
3月8日(月)曇り  外を見れば 眩しく 雪目になる 遅い午後からは青空が広がる

今朝も雪が舞っているのかと思うほど雲が低い。
集落を取り囲む山々には針葉樹が多いが、その針葉樹が雪化粧ををすると種類が豊富なの見える。
枝の付き方と堅さが違うのだろう・・・
カラマツ、スギ、イチイ・・・・ヒバとかサワラとかが有るらしいが・・・・
雪化粧で美しく装う姿はいつまで見ていても飽きない。


昨夜は集落の会合があったが、崖の上の楓が落ちたことを知らない輩がいた。
公園を作るときには何時落ちるか掛けよう!!などと良からぬことを言っていたヤツだ。
今日は崖の下でも雪を被り無様な姿を雪が隠してくれている。
林業に詳しい者があれは楓のようだが、欅だと云う。
欅でも楓のように紅葉する仲間があるという。
庭木にすれば相当高額な値が付くと云うが・・・
       

朝飯を終えた頃に少しだけ雲が薄くなり明るくなってきた。
山鳩が細い枝に止まり地面を見つめている。
彼は餌を啄む雪のないところを探しているようだが・・・今日はまだ雪解けには早いようだ。


昼過ぎに散歩に出てみようと裏山へ向かった。
湿り気のある雪は舗装してある道は既に溶けていた。
          

坂を登る途中で左手の山で、ヒャンヒャンとしゃがれ声で吠える獣がいる。
犬の声を潰したような平たい吠え方だが、狐だろう。
ときどきこの畑との境を歩く姿を見るが・・・何か獲物を捕まえたのだろうか?
近づくなと威嚇か警戒の吠え方だ。
警告に従って俺は家に戻ったが・・・・・


薪運びが一段落して空を見ると裏の山を賺して青空が見えた。
北側の庇には氷柱が重なっているが・・・・
冬の氷柱とは異なり湿り気をもった雪と一緒に地面に落ちるのは時間の問題だろう。


東の空でも黒い雪雲が割れた所から青空が新鮮にみえた。
上から糸のように白い雲が次ぐ次に垂れ下がっては消えていった。
          

青空を見るとやはり春の雪景色だろう・・・
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アムールの将軍が 暖かさを求めたと云う

2010年03月07日 | 日記
3月7日(日) 雪   ゆき  ユキ 一日中 雪

アムールの将軍が南へ行軍でもしているのか、春だというのに雪だ。
昨夜 3時半にベッドに入るときには静かに雨が降っていた。
ロシアの寒気団がが南下しているとTVで報じている。        
      

東信州の山裾のある地域では寒気が緩み春が近づくと雪が多くなる。
東京でも雪が降るのは3月が多いように記憶している。
“ぴょるママ”さんからのこと、雪の中をぴょるに連れられて散歩をするそうだ。
メールに添付してくれた写真を見て、すっかり忘れていたことを思い出した。


信州に来て10年を迎えるが『雪は白い・・・そして、太陽に照らされて溶けるまで白い』
それが雪のイメージと定着している。
ところが・・東京はそうはいかない、雪が降っても白?っと思うように僅かに目に優しいグレーなのだ。
そして、翌日もなると風に吹きよせ寄せられた埃でで黒く縞模様になる。
車が頻繁に走る所では跳ね上げられた泥水がかかりそれは悲惨な街の姿になる。
しかし《ぴょる》と“ぴょるママ”さんが住む東京郊外の雪事情は変化しているようだ。
環境に優しいキャンペーンの先鋒、東京の雪は美しく白く輝くようになっていた。

       
山裾の春の雪は湿り気が多く、見た目は雪かきをしたように見せてくれる。
雪が降ると除雪機を出す必要があるか?
湿り気のないサラサラの粉雪だから箒ではけばよいか・・・
そんなプレッシャーとも思えることを春の雪は考えさせないのがありがたい。


もうすぐ5時だと云うのに細かな雪がびっしり降り続いている。
春の淡雪とは云えないほどの振り方だが・・・
ここの町のように町営のスキー場をもっている所ではありがあたい雪だ。
外気はそれほど寒くはない・・・が、せめて、子どもたちの春休みまではしっかり雪があって欲しい。 
暖かなリビングから見ている冬景色 平和な集落を感じる。
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しずかな雨 ゆったりと呼吸する草木 春の息吹と云うのだろう

2010年03月06日 | 日記
3月6日(土) あめ  あめ  雲に濃淡ができる 曇り


昨日に続いて午前中はPCに向かう。
たてしなエコ・クラブの一年間を振り返りながら預かってきた領収書を仕分ける。
エコ学習教材、地産地消食材、生ゴミ堆肥化、廃油で作るローソク・・・・・
児童館、環境フェア、こめっこエコ学級・・・・・・など
町の《がんばる地域応援事業》に申請している事業別に分けてコピーをとる。
あっという間に昼間での時間がつぶれた。

午後はなんとなく作れた目を休めながら・・・・
昨日の会議のメモを見ながら寝てしまったようだ。
目が覚めたら身体が椅子の形に固まっていた。
夕方の静かな帳に町に続く道が外灯で点描されている。
だれか・・・何時になったら来るのだろうか・・・
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生ぬるい一日 再び寒波が来ると云うが

2010年03月05日 | 日記
3月5日(金) 濃霧  霧が晴れてくるとセオリーどおり 快晴 生暖かい一日



昨夜は激しい雨音を聞きながら今日の午後にある年度末の整理に使う資料を作っていた。指朝に近い深夜に床に着いたが、朝・目が覚めると暗い・・・時計を見るとまだ4時半だった。
2時間くらいしか寝ていないと午後の会議に支障が出ることは理解できる・・・・
ボンヤリしながら障子が明るくなるのを眺めていたが起きた。
外は霧 昨夜の雨のあと暖かい空気が入ってきたのだろうか?

午前中は「たてしなエコ・クラブ」を中心に書類を整理して過ごした。
1時半にエコクの三役が集まり一年間の収支を合わせ、『がんばる地域応援事業』の仕分けをした。
この事業も計画どうりに行動を起こしてみたが、思うように実験道具を作れなかったこと残念だ。
炭で電池を作ることをテーマとしたが・・・・炭の密度も関係があるようなので難しさが理解できた。

午後3時からは『町民活動センター』の正副センター長と社協局長の懇談会を開いた。
このような会は初めてだったが、同じ釜の召しを食う仲間として密に連絡し合うことが大切だと感じた。
システムの整理と事業の共同性など基本的にスタンスをとりながら活動をしていきたい。
このような懇談かは意を同じくする行政の担当者ともしっかり話をすることが前に進む要因だろう。
15日の役員会を決めて事務局と打ち合わせを家に戻った。

疲れた・・・・
一日中晴れていたのに・・・・・
写真は朝写しただけだった。
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崖の上の 楓が 落ちた

2010年03月04日 | 日記
3月4日(木) 曇り   冷たい風  午後から 雪が舞う

朝、窓の外がなにか変だ・・・
視覚的よりも気持ち的に変なのだが庭を見渡しても代わりがない。。。
集落をぐるっと取り巻く山を見て右から左へ・・・いつもの崖の上の楓がない。

夕べは風が強く戸袋のなかの雨戸をガタガタ言わせていた。
がけの下を見ると根を上にして木が横になっている。
急いで崖の下の公園まで行ってみると、左側から落ちて坂の下りにあわせて右側に回転したようだ。
根は崖の上につながっているのが見える。
少しだけ登ってみると僅かな風でもパラパラと土が落ちてくる。


いつかは落ちると思っていたのだが・・・・・
毎年冬になると泥炭層の黒い塊がボロボロ落ちてきていた。
太平洋戦争の頃には燃料を得るために横穴を掘り泥炭を掘って商いになったという。
その後は近くのバイパスを作るときに崖を切り崩して土を使ったそうだ。
3億年前の地層と云うことでその昔は沼だったそうだ。
泥炭の他にも黄色い土壌はケイ素土として壁材に使われたという。
脆い地層故にいつかは崩れることを樹自信が知っていていたのだろう。
半月ほど前の2月の極端に気温が下がったときに、今日を察して花を咲かせた。
見事な雪化粧よりも崇高で気高い姿を感じたものだった。


無残ながら人を寄せ付けない厳しさを目の当たりにした壮絶な生き様だったのだろう。
この樹の根元には屋敷神様の祠があったのだが大丈夫だろうか?
俺がこの場所に初めて来たときには、この崖の上の3本の太い松の樹とこの楓に見せられた。
既に10年も経つのだが未だにその姿が瞼に焼き付いている。
一つの株から何本も幹がでて樹形を整えていた.
残った僅かな根と樹はこれからどのような生き様を見せてくれるだろう。


この崖を借景にした公園を作ろうと企画したのは2005年の春だった。
住民総出で山を削り田圃だった平地に暗渠を伏せた大土木工事を良くぞ見守ってくれた。
古代からの地形を人の手でしかも、住民の総意で果たした結果、今では憩いの場として集落にはなくてはならないものとなっている。


公園が企画されたころは手前の斜面は竹藪に覆われていた。
それでも崖の天辺の楓には夏になるとフクロウが神社の森とこの樹を行き交ってはホホホーウと啼いていた。
晩秋になるとどこからから集まる椋鳥の大群が葉が落ちた枝先に実を付けたように群がって騒ぎ立てた。
今ではこの崖下の公園にバス停までできて、四季折々の美しい姿を見せてくれると信じていた・・・・


昨年の秋には見事な紅葉を楽しませてくれた。
この姿を公園の四阿で長い時間眺めていたことを思いだす。
見ず知らずの土地に移り住み、今の自分がこの地を好き以上に愛するまでになったのも崖の上の樹に依るものだろう。
責めて残った僅かな根と木が再び生長して初夏の明るい新芽、夏の深い緑、晩秋の紅葉を見せてくれるようになって欲しい。
厳寒期の氷の花は当分はお預けでも良いのだから。
         

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病院の ひな祭り お囃子は兎も角、 カンジャは沢山

2010年03月03日 | 日記
3月1日(水)  朝靄  晴れ  久しぶりの快晴  夕方には少しだけ冷たい風

眼科の『視力検査室』でのこと・・・
白い白衣(ちょっと?だが・・・検査技師は白、看護婦さんはピンクかブルー)をきる。
因みに看護婦さんに聞いたことがあるが、どちらを着るのも本人の気持ち次第だそうだ。
話を元にもどうそう・・・
検査技師気が短い言葉で指示をだす。
7番の椅子へ座ってください。 ここでは風の力で眼圧を測る。
7番が終わると次々に椅子の番号で指示をされる。
最後には番号は忘れたが視力検査のところにおさまる。

片方づつの目で数メートル先にある上から下へ小さく表示してある例のものを言い当てるのだ。
あくまでも検査なのだから自分の目の状態を言葉に出して云えば良いだけなのだが・・・
下「かな」とか右「デスネ」とか語尾が言葉をボヤカシテいるのに気がつく。
俺は無意識なのだが・・・そんな自分の言い方を考えながらボンヤリしていた。


そのときにふっと検査技師の手元にある、記入しているものを覗いて見たくなった。
『ユウジュウフダン』“イライシン 大”《ジコケンジヨク少ない》【・・・・・】
・・・・・やはり?
眼科のトナリが心療内科になっている・・・待合室も一緒だし、視力検査室も隣どうしだった。
もしや、俺は眼科に呼ばれるようになっているが・・・
実際には心療内科・・・少々精神に「?」があるように・・・・・
家人が『コノヒトハ ビョウインキライナデ テキトウニ・・・・・』などと訴え出たんだろうか?
そんなことが頭を過ぎったとき『背中を背当てにつけてください!!』キッパリとした声に我に返った!!
これって白昼夢なのだろうか?運転をしているときでなくってヨカッタ。。。

スムーズに眼科の検査も終わり次の診察も思いの外早く順番が回ってきた。
眼圧は右が9、左が16と頗るよい状態だそうだ。
それでは次は1ヶ月先ですね。次の時まで薬は足りますか??
親切な先生だ。。
手術をして約2ヶ月半が経過して、順調と云うことは視力も順調な回復を数値が出しているのだろう。

病院の待合ギャラリーでは近所の手芸グループだろう 展示会をやっていた。
上のひな飾りのものもその中の一つだが長い壁一面に張り出してあった。
キルトのものあり紙で立体的に作ったものある。
吊し雛のようなものが人が歩くたびにゆらゆら揺れているのも楽しい。
粘土細工も素焼きだが楽しそうなヘンテコリンな形のチャワンなど楽しいものが多かった。


眼の術後の経過が良いので一安心って云うことだが。。。。
目薬も忘れて一日点点眼しなかった日もあるのに、様態が良いと云うことは素晴らしい。
眼科が終わってから内科の外来処置室で注射を打った。
これは4年前の入院以来毎月お世話になっているホルモン注射だが、注射針の進歩か、看護婦さんの腕の上達?
どちらも定かでないが痛くないないのがすごい。

帰り道はいつもと違う道を走ってみた。
午後は集落のふれ愛ネットワークの決算書を作らなければならない。
たてしなエコ・クラブ、ふるさとプロジェクトが町の《がんばる地域応援事業》を受けている。
これの、報告書の資料を纏めることも宿題となっている。
帰ってからのことを思いながら近道を走ると浅間山が広がった。
我が家から見るのとは90°近く南へ回ったことになる。
この形の山を見ないと浅間山ではないと云う人もたまにいる。


今朝、山裾からみた浅間山は雲に隠れていたが、日の出時刻を過ぎたことからボンヤリと姿を見せた。
朝靄が多く太陽も雲を通しての淡い光線を出していたが、すそ野の雲が素敵だった・


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春は名のみの・・・ そうは云っても 気になることがある

2010年03月02日 | 日記
3月2日(火) 曇り  重たい雲 風も冷たい 

燃えるゴミを出す日だという。
ガレージに2つ置いてあるというので手で持つと軽い・・・
一つは紙、もう一つの袋はリサイクルにならないビニール系のゴミだ。
これが微妙で『洗えばリサイクル・汚れたままでは燃えるゴミ・・・』いつもどちらがエコか迷う。
洗うと下水が汚れてその下水を浄化するのに水も使うし費用も掛かる。。
もっとも外の井戸端で洗えば汚れた水は地面に吸い込まれ植物の栄養分になるのだろう。
           

そんな悩みも慣れっこになるとせめてゴミステーション(ナハゼかハイカラ)に手持ちで徒歩で行く。
帰りは手ぶらながら登り坂になっている。
両脇の水路には山から染み出ている水の流れるがある。
我が家の井戸から溢れた水はここを流れている。
きれいな水だから芹が育つし香りが良いものが採れる。
夕べも鹿の恋の季節か雄叫びが長く続いていたが、彼らが踏み込んだ足跡や、芹を食った跡が残っている。
早く獣たちの食料となる新芽が山に出てくれないと、俺の口に芹が入らなくなってしまう。


昼飯の後、風が強くなり空気が冷たくなってきた。
確定申告の医療費控除に使う医者の領収書を集めて計算すると結構ある。
先日役場から高額医療費の申請書類が来たがあれとは別に相当な額に驚いた。

しかし、保険のシステムは合計額の3倍は役場から公金が出手いるという。
俺は無償のボランティアで“身体で返す”形をとっているわけではないが・・・・
深く考えると微妙なものだろう。
若いうちからこの町に税金を払っていれば兎も角、リタイヤして田舎暮らしと云うのも少し虫がよいのかもしれない。
健康ならではの田舎暮らしだが・・・・責めても、退職時の税金くらいは移り住んだ先の行政に治めるようにしないといけないな。

そんなことをボンヤリ考えていると計算が合わない。。。。
気分転換に消えかかっていたストーブに手の平サイズの太い丸太を入れてみた。
夜まで持つ勘定だが、寒さが増せば夕方に薪を入れることになるだろう。


3時を過ぎた頃にどこかで甲高い声で話をしている。
北側の部屋にある農協(JA)の有線放送お定時放送だろうか?
時間からしていつもと違うと・・・畑の先で集落の婆さまが座っている。
寒くないのだろうか?
着ぶくれして丸々した姿に頭から手ぬぐいを被って完全武装の出で立ちのようだ。
もう畑仕事だろうか?
畑にわら束を広げてあるので、春が待ちきれなくて種まきの準備でも始めたのだろう
それにしても少々早いように思うが・・・・・
彼女たちに野良仕事はいつ頃からやればよいかと尋ねれば『六点様が済んでから・・・』と毎年同じ答えが返ってくる。
六点様は集落の子どもの無病息災を守ってくれるお地蔵尊のお祭りがある4月の第2日曜日だ。


畑仕事は未だ早い・・・“春は名のみの・・・”早春賦ではないが
甲高い声で笑い声が聞こえてくる ・・・
婆様たちは寒さを感じない・・・青春を謳歌しているようだ・・・
コメント (4)
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