森本リサ監督の「Tokko 特攻」というドキュメンタリー映画をいま見てきたところだ。元特攻隊員の生き残りの人からその思いを聞いてそのストリーをつくったドキュメンタリー映画であって、アメリカでもある程度受け入れられているという。
森本監督の話を映画の後に聞いたのだが、この映画は始まりにしかすぎない。その映画で語られた思いとそれから派生してくるはずのいまの戦争やこれからの戦争をどう未然に防ぐかというところのギャップは大きいものがある。
始まりは小さいものにしろどこかで誰かが始めなければならない。しかし、問題はそのギャップをどう埋めるすべをもつか、持たせるかではないのだろうか。
森本さんは50年後にイラクの自爆テロにもこのようなストーリー映画ができるかもしれないとの希望を述べられた。森本さんは日系二世の映画プロデューサーであり、監督であるらしい。
原爆の被爆者の聞き取り映画をつくる日系のアメリカ人が出てきたり、特攻の生き残りの人から話を聞くというこういう映画ができたりすると世の中まだまんざら捨てたものではないという気がする。