「物理学の問題は方程式を解かないで答えを見通せるときにのみ本当に理解する」とDirac がいったと、Feynmanはあるインタービューで言っている。
ところが、このインタービューの前の方で「物理学を理解するために数学は絶対必要だ」ととも質問に答えていう。
これは一見矛盾した発言のようでもある。冒頭の発言は有名な『Feynman物理学』(岩波書店)の中に彼が引用をしていたと思う。
また、Feynmanは「計算をしないでモデルをつくって考える」ともいわれていた。誰かが数式で理論を展開した話をしているときに彼はそれらの理論に適合したモデルをつくり、それで考えて数式から出てきた結論がおかしいことを指摘できたともいう。そういう彼がいう言葉だけに考えさせられるものをもっている。
物理を理解するには数学が必要だとの発言は「Faradayがほとんど数学を知らないで電磁場の概念を発展させたようなことが現代物理学でも可能でしょうか」という質問に答えたものである。
身振り手振りで物理を聴衆に実感させたといわれるFeynmanにしての、これらの発言には重みがある。
だが、一方で数式に表される概念を単なる数式とはとらえないで、その背後にかならず物理現象が存在することを理解してほしい。数式はその展開によってそれ自身が私たちの代わりに考えてくれるともいう。こういった矛盾した側面が数学と物理の関係にはある。
H大学の教養部での講義で私が物理を教わった清木義徳先生は「数式なしの物理もある」と常々言われていた。
(注)清木義徳先生のお名前がまちがっているかもしれない。なにしろ半世紀以上前の教えてもらった先生の名なので。
大学を定年退職された後は、呉市のある私立高校の校長さんだったかを務められていたとか風の便りで知ったが、確かではない。
先生は長崎医科大学だかにお勤めのときに原爆を被曝した方だったと言われておられ、頭が禿げているのはそのせいだとか言われてもおられた。