物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

同級生の死

2010-10-25 16:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

昨日高校の同期生の小さな集まりがあり、そのときに同期生の数人の方々が亡くなったことを聞いた。

そのうちの二人は物理学者で、K君は京都大学理学部の出身で、物性論専攻であった。もう一人は厳密には同級生とは言えないかもしれないが、高校2年から松山東高校に転校したN君である。彼は大阪大学理学部の出身で原子核実験の専攻であった。

それぞれの人のその後の詳しい経歴を存じ上げていないが、K君の方は中学校以来の同期生でもあり、実際にクラスが中学と高校で一緒になったことも何度かある。

N君の方はクラスまで一緒になったことはなかったが、どうしてだか知っていた。多分生徒会で委員を私と一緒にした別のN君が小学校以来の彼の親友だったから、彼から話を聞いたのだろう。

このN君(もちろん物理学者の)のお母さんと私の母とが女学校の同級生だったので母が同窓会から帰っての話として彼の様子を聞く機会もあった。このN君のお父さんも物理学者で京都大学で力学演習などを担当されていたらしい。ゴールドスタインの古典力学の初版の訳者の一人であった。

N君の方は何で亡くなったか聞かなかった。N君は今治の沖にある大島という島の出身であったが、それは彼のお父さんが肺結核を療養するために故郷の島に帰ったからであろう。

N君は高校一年のときにランスロット・ホグベンの「百万人の数学」(筑摩書房)を自分で読んでいて、放課後に数学の先生にわからないところを聞き行くのをときどき見かけた。

K君は定年退職後、住んでいる、奈良路を歩き巡っていると聞いていたので、健康に恵まれているのではないかと思っていたが、ガンで亡くなったらしくそれなら仕方がないのかもしれない。

K君は誰でも認める秀才であった。なんでだったかいきさつは覚えていないが、英語の時間に英語の先生が彼にどうやってビールをつくるかと尋ねたら、それに即答したので英語の先生の方がびっくりしたということがあった。

数学の時間でも数学の先生がうっかり間違えたようなことでもちゃんとその指摘をしたりしていた。それでも彼は別に自分の知を開けかすようなところがなく、誰にでも好かれていたと思う。

K君とは彼の亡くなる前に3年前と1年前の2回、同期会で一緒になったが、1年前のときに少し立ち入って話をしたのが最後となった。髪が真っ白になり、どうも元気がないような気がしたが、本来落ち着いた人なのでまさかそのときが最後の出会いになるとは予想していなかった。残念である。