物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

森永覚太郎先生

2010-10-22 12:01:21 | 数学

昨日のブログで森永先生の親戚の学生さんからコメントを頂いたので、森永先生の思い出を書いておこう。

森永先生の解析幾何学の講義を聞いたのはもう50年も前の1960年のことである。

解析幾何学とはいうが、内容は射影幾何学や固有ベクトルとか、またあまり日本語で書かれた本のない内容だった。誰かが困って先生に講義の内容を書いた本がないのかと尋ねたらしいが、あまりないとのことだった。

特に後期になってある友人が先生に尋ねたら、それはNull Systemという分野なのだといわれた。その内容を書いた日本語のテキストがあるかどうか尋ねたらそんなテキストはないだろうとのことだったという。

森永先生の講義は丁寧なもので、前回の講義内容を30分くらい毎回復習をしてくださるのだが、ほとんどわからなかった。

固有ベクトルの説明では「こんな感じがするでしょう」と言われたが、前にも書いたようにそういう言い方は数学の講義では初めて聞いたので、どうも森永先生の数学が頼りのないもののようにそのときは思われてしかたがなかった。

しかし、そう感じたのは私の方が悪かったので、数学といえども感覚が大切なのは当然であった。しかし、学生のころはそういう感覚にまったく考えが及ばなかった。

森永先生は冬の朝片手をポケットにつっこんだまま講義をされていた。そのことに私たちは気がつかなったが、ある寒い冬の朝の講義で先生が原爆に被爆されて、冬に手が痛むのでしかたなくその痛みを和らげるためにポケットに片手を入れて講義をしているのだと告白されて、やっと先生が原爆を被爆されたということを知った。

講義ノートとかはまったく持ってこられず、チョークと出席簿はもってこられたかと思うが、出席をとられたことはなかったと思う。それでもするすると講義をされて、よどむことはなかった。数学者は記憶力も優れていないとできないものだと思わされた。

森永先生といえば、一時注目された波動幾何学の一番重要な研究者の一人であった。これは大学院の数理物理学の講義で担当の竹野兵一郎先生が彼の精勤ぶりを驚嘆しておられた。

もっとも森永先生ともう一人の重要な研究者の柴田先生はこの波動幾何学の研究でずいぶん無理をされたので、このときに相ついで病気になられた。だから、ほとんど睡眠時間もとられないで研究に精励されることについては竹野先生はむしろ否定的であられたと思うが、その当時の波動幾何学一派の研究者グループの精勤振りの一端が窺われる。

戦後、そういう業績のせいもあったのだろうか、森永先生はプリンストンの高級研究所に招聘されたとは大分後になって小林稔先生(京都大学)から聞いた。同じ時期に小林先生もプリンストンに滞在しておられたらしい。

その後、一時のことだが、波動幾何学の成果を素粒子論研究者が見直してみようということで、竹原市にあった、広島大学理論物理学研究所で研究会を開いたことがあった。その前日にも理学部の宿直室で職員の人と碁を打っておられ、つぎの日には何も持たないで波動幾何学の講義をされたと、私の先生の一人のSさんから大分後になって聞いた。Sさんも「数学者は記憶力もよくないといけないのだね」と言われていた。

波動幾何学が何かはよくは知らないが、Minkowski空間での線素ds^{2}を線形化して、dsから出発するというようなアイディアであるらしい。そのアイディアのもとは波動力学へと導いたような発見のアナロジーとか、および、シュレディンガー方程式からディラック方程式が出てくるのと似たようなアナロジーに基づいた推論によっていたと思う。

これらのアイディアの主な部分は三村剛昂先生によるのだと聞く。だが、その展開は当時の広島文理大学にいた数学者と物理学者の共同研究によっていた。この波動幾何学は自然現象の実験的事実との乖離が大きく、物理学としては成功しなかった。

波動幾何学をあの波動力学という名の量子力学を創ったことで有名なシュレディンガーは「額縁があって絵がない」と評したというが、それはともかく広島島文理科大学(現在の広島大学)に世界で第4番目の理論物理学研究所ができた。この研究所は現在京都大学の基礎物理学研究所と統合されて、その一部となっている。

また、これも前に書いたが、このころに岡潔先生がフランスからの帰朝後、広島文理大学の数学の先生として勤めておられ、波動幾何学の進展ぶりに対抗心を燃やしておられたという。そのせいかどうか、岡先生が多変数関数論の偉大な業績の初期の論文のいくつかを発表されたのもこの時期である。

岡先生の詳しい伝記がこのごろ出版されているが、多変数複素関数論は波動幾何学との関連はないので、このことにはまったく言及されていないと思う。しかし、こういう心理的な動機もあったらしい。岡先生の場合は名誉心で学問研究をするというような人物ではまったくないが、それでもそういう動機も見逃すことはできない。