優れた数学者であった高木貞治がこれも数学者の矢野健太郎に語ったところによると、「本は何を書くかではなく、何を書かないかを考えれば、いい本が書けるようになるよ」と言われたと矢野氏のエッセイにあった。
それでいうと私の数学エッセイでも何を書くではなく、何を書かないかが大切なのだろうが、そういう心境にはどうもはるかに遠く、いつもなんでも細かいことまで書いてしまう。というか思いつくことはなんでも取り入れようとする。そういうことが思いつかなくなったら、ようやくエッセイの書くことが終わりに近づくと感じている。こういうことではどうも達人の心境にはまだまだはるかに遠いことがわかる。
大学院の頃、研究して論文を書くときにはいつでも1.5倍くらい調べてそのうちの2/3くらいを書くという気持ちでと指導を受けた。実際にそのことが実行できたかは心もとないが、そういう気持ちで論文を書こうとしてきた。
そういう教育を受けたにもかかわらず、今に至るもどうもそのことが身についていないようである。いまさら反省しても遅いが、どうも知っていることや思いついたことを何でも全部書きたくなる。こういうことではどうしても達人の域からはほど遠い。
いや、凡人なのだから、達人の域に到達しようなどと考えるのがおこがましいのであろう。凡人は凡人のやり方で通すしかないのかもしれない。