無意識の作用とは自分でまったく自覚していないのに、なんらかのアイディアを思いついたりすることをいう。
ところが意識してというか夢とか自分ではっきりと意識していないが、それでも無意識とはいえないような範囲があるような気がする。無意識と意識の間というようなところである。
無意識の作用についてのエピソードで有名なのはポアンカレの話であろう。
数学の問題を考えていて解けなかったのだが、どこかへ出かけようとして馬車のステップに足をかけたときにその問題が解けたとかいう話である。ここでいう数学の問題とは私たちが受験勉強とかで解く数学の問題ではないが、それに置き換えても話としてはよい。
数学者アダマールの書いた『発明の心理』(みすず書房)には、科学者のアンケートの中にアインシュタインへのアンケートがあった。その中で彼は思考は言語では考えていなくて、何らかのイメージみたいなものだという答えをしていた。
世の中には言語で思考をしているという風に信じている人もあるらしいが、言語で考えているという説にはアインシュタインではないが、だから私自身は懐疑的である。
言語になるとかになってくれば、それはかなり思考が固まってきたときで、そんなときはもうかなり煮つまってきているときだ。そんなはっきりとしたものではない時期がずっとあるのだと思う。
「芋虫数学」という言葉を使ったのは物理学者の山内恭彦であったが、これはアゲハチョウのように数学がきれいに出来上がる前には「芋虫のような醜い、というか洗練されていない、段階がある」のだという。
こういうことを知っている人は、やはり何事かに苦心したことのある人なのであろう。