唯物論と観念論とは普通には哲学の用語であろう。なんだか難しい漢字の用語でこんな用語には一生関係がなさそうだと思われる方もあろう。しかし、これは日本での訳語がよくないらしい。
唯物論は物質主義と言った方がいいらしい。そういえば、英語ではmaterialismだったかな。それを気取って唯物論などと訳をつけた昔の人を恨みたい気がする。これは材料とか物質のことをmaterialというからである。
観念論の方は思いとか願いとかが重要でこちらが物より人間に影響を与えるのだと考え方らしい。こういうのをイデーとかイデアというから、したがってこういう考えを日本では観念論と訳したらしい。いま辞書を引いてみるとidealismとある。これは理想主義とも訳がついているが、哲学では観念論という訳らしい。
こういうことを先日述べた田中克彦『「スターリン言語学」精読』から知った。この書ははじめからこういうことを書こうと思ったわけではないかもしれないが、そういう説明もされているところがおもしろい。
観念論といわず、オモイ中心主義とでも訳しておけば、難しそうには見えなかったろうに、観念論などというと「そんなものはまったく私には関係ないもん」と言いたくなってしまうが、もとはそんなに難しいことを意味していたわけでないらしい。
そういえば、先日der Begriffという日本では概念と訳されている言葉をドイツで小さな子どもが使ったのでびっくりしたことがあったと小塩 節先生が言われていた。先生はそのときにBegriffは実はドイツ語としては難しい言葉ではないのだと付け加えておられた。
ところが、概念などと訳されると「わっしには関係がない語だ」と思ってしまうから、漢字の訳語も罪作りである。