物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

解析接続の例

2011-07-23 20:14:55 | 数学

解析接続の例を書いた本を前から探している。

最近といっても数年前(2008)に出版された本にその例が載っていることをアマゾンコムの書評で知った。それでその本を購入した。

これはいつかこのブログでも書いた話題なので、新しい話題ではないが、解析接続の仕方は普通どの複素解析の本にでも載っている級数展開によるものだけではない。

それを具体例で示したというか、解析接続の方法を意識して書かれた本としては私の知っているものでは松田哲著『複素関数』(岩波書店)が今のところ一番いいように思うと前にも述べた。

いろいろな解析接続の手法があると書いていたのは今村勤著『物理と関数論』(岩波書店)であるが、これにはその例はあまりあげられていない。もちろん定理の証明とかは上がっていたと思うけれど。

それでその辺のことをこのブログでも述べたことがあるが、新しく購入した本は飽本一裕著『今日から使える複素関数』(講談社)である。

この本には例が出ているし、その解析接続の手法もやり方の項目もあげられており、例もいくつか載っている。だが、鏡像の原理による解析接続の例はあげられていない。

いや、あげられているのかもしれないが、まだよくは読んでいない。ともかく私の知りたい気持ちの幾分かは満たされたが、まだ全部が満たされたわけではない。

飽本さんはプラズマ物理が専門らしく、ひょっとすると私の友人の Y さんが大学で教えた人かもしれないが、まだ Y さんにはそのことを聞いていない。

(2011.7.25付記) 今村勤著『物理と関数論』に解析接続の例が出ていないと書いたが、昨日この本を見ていたら、そんなことはなくてちゃんと例が出ている。

実はこの書が長い間どこかに紛失してしまっていたので、どうもそういう風に思い込んでいた節があるが、この機会に訂正をさせて頂く。

ただ、もっと例が欲しいと私が思っていたことは間違いがなく、この書の例だけでは十分とは感じられない。だが、例はいくつか出ているので、私の基本的な誤りを謝りたい。

ただ、上の文は記録なのでそのままにさせて頂く。

(2022.7.21付記) 金子晃『関数論講義』(サイエンス社)の第6章の6.1節が「解析接続の方法」となっていて、その方法と例が出ている。この書をいまはお勧めしたい。微分積分学のテクストでもこの金子さん書いた本がある。それがお勧めであるとアマゾンコムの書評で見た。

金子さんと笠原晧司さんの微分積分や線形代数のテキストとかがお勧めであるとはやはりアマゾンの書評より知ったことである。

私のブログの他のところでも紹介したかもしれないが、「解析接続の例」と題するこのブログを見てくださる方は今後も出ると思うので、ここにも付記した。

平和展

2011-07-23 18:01:27 | 日記・エッセイ・コラム

松山市のコミュニティーセンターで、いま平和展が行われている。この平和展は今年で第9回というからほぼ十年前から行われていることになる。期間は7月23日(土)~27日(水)である。時刻は9時から19時である。しかし、最後の日は17時で終わる。

第9回松山空襲犠牲者追悼の平和展である、今回は平和詩の朗読も例年通りある。毎日午後1時に詩の朗読は行われる。もっとも7月27日だけ午後2時である。

この展覧会に行ってみたところで何かが変る訳ではないが、子どものときを思い出す。食物がなかった時代である。今の子どもにはわかるまい。食物があふれている、このごろだと子どもたちに理解しろと言ってもこれは無理な相談である。

また、私の幼稚園時代の空襲を思い出す。私は I  市で空襲にあったが、そのために通っていた幼稚園は焼けてなくなり、それ以後は幼稚園には行かなかったから、私の幼稚園生活は2ヶ月ちょっとである。

今朝の語り部の女性も私よりは7歳くらい年上の方であったが、松山空襲の話とその頃の様子を話された。この方はもし居られるとすれば、お孫さんか、曽孫さんくらいの世代が小学生だったりするであろう。それで食物も最近でこそ原発の事故で牛肉が放射能汚染をしていたりということになって、何でもいつでも食べられる訳ではないという、事態になってきた。

だが、その経験もとても限られたものであり、食文化としては飽食の時代であることは間違いがない。

私みたいに土用の丑の日にうなぎを食べたいとは思わなかったり、またすしのマグロを特にそれほど食べたいとは思わないなどという日本人は変人の部類であろうか。

だから、私には刺身もあまりいらないし、マグロもいらない。さらに、うなぎもどうでもいい。ましてや、鯨肉を食べるのが日本の食文化だといわれると「本当にそうかなあ」と思ってしまう。

この最後の点については確かにそう思うというような新聞記事を最近見かけた。これは調査捕鯨を正当化するためではないかとの論であった。真偽の程は知らないがそういう可能性は捨てきれない。