ポートフォリオ(portfolio)は辞書を引いてみると紙バサミとある。だが、ここで使うポートフォリオはもちろん紙バサミの意味ではない。これは新聞に出ていたのでは投資をするときに方々に分散して投資をするという意味である。
これは別に投資にだけ限る訳ではない。食物安全保障の問題にしても、電力にしてもそれ以外のエネルギーの問題にしてもあらゆる可能な方面に均等に分散して投資をしたり、依存するようにしておかなくてはならないのである。
新聞に出ていたのではどなたの論説であったかは忘れたが、「知的ポートフォリオ」の必要性を述べたものであった。
ある人の評価についても一人の人の評価にのみ依存しないで複数の人の評価を総合的に自分で評価するということが必要なのである。よくは知らないが、だからアメリカでは大学の教員を採用するときなどでも複数の推薦書が必要なことが多いらしい。
先年の金融危機のような場合にはこのポートフォリオが機能したかどうかは存じないが、もしこのポートフォリオをしていなかったなら、見るも無残な結果をもったことだろう。
国策としてのエネルギーとか電力の問題でもこのポートフォリオがなされていなかったのは明らかであろう。これからは太陽光、風力、地熱等の自然エネルギーだけでだけではなく、とうもろこしとかのバイオ燃料もあわせて考えておかねばならない。