坂田昌一は1911年の生まれであるから、今年は生誕百年である。そのためだと思うが、坂田昌一関連の書籍が3冊出ている。(ちなみに僚友の武谷三男も1911年の生まれである)。
一つは私の知人、西谷 正氏の著書「坂田昌一の生涯」(鳥影社)であり、これは本格的な坂田昌一の伝記である。これからもこれに勝る伝記は現れないだろう。もちろん、狭い範囲に限れば、もっと立ち入った側面を述べた書は現れるだろうと思われるが、全般的にはこれが坂田昌一の伝記の決定版であろう。ぜひ、ご購読を勧めたい。
さらに、「坂田昌一コペンハーゲン日記」(ナノオプトニクス・エナージー出版部)が出た。これは坂田が1954年に半年ほどデンマークのコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所に滞在したときの日記である。
これがなかなか読ませる日記であって、海外に滞在したことのある学者とかなら、その日本からの手紙を切望する気持ちとか、日本の新聞や雑誌とかを読みたいという気持ちがあちこちに出ていて身につまされる。
坂田は世界に名だたる物理学者であるが、やはり人の子であり、日本からの手紙が欲しかったのであろう。もっとも彼には夫人の信子氏をはじめ多くの方々からの手紙が寄せられている。そのことは日記の受信に明らかであるし、彼も多くの手紙を発信している。
さらに、もう一つの書は「原子力をめぐる科学者の責任」(岩波書店)である。この書はまだ手に入れていないが、坂田が原子力発電に慎重であったことは知られており、「福島」以後そのことが急に注目されている。もっともそのことは私などでも少しは聞き及んでいたことなのであるが、そのことが奇しくも氏の生誕百年に起こった「福島」の事故でクローズアップされているのは何かの縁だろうか。