物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「測り方の科学史 I」の発刊

2011-11-21 15:01:27 | 物理学

徳島の科学史家である、西條敏美さんの書いた「測り方の科学史 I」 地球から宇宙へ(恒星社厚生閣)を出版社から送ってもらった。

編集者からの手紙が入っていて、雑誌とかWeb等での書評をお願いしたいとの依頼文が入っていた。昨夜テレビを見ながら、10ページほどを読んだが、私にはこういう本は一日に10ページほどしか読めない。

それに毎日読めるとも限らないので、140ページに少し足らない本ではあるが、まともに読んだら、1ヶ月以上かかるであろう。それでも送ってもらったからには真面目に読まねばならないであろう。

このごろ、ときどき書籍を送ってもらうことがある。いい加減に読み飛ばしてその読後感として本の著者に手紙を書いてお茶を濁していたのだが、先日も「技術論文の書き方」という書の感想や私の気になったところを少しだけ書いて送ったら、著者の一人のUさんがえらく感激をして、電話があり、もっと詳しく読んで感想をくれと依頼をされた。これは将来この本の改訂版を出したいという意向があるかららしい。

そのときにUさんと電話でしばらく話したのだが、学生の経済事情が緊迫化しているせいか、教科書にした書籍でもなかなか買わないのだという。もちろんこれは書籍の価値がないということではない。

「測り方の科学史 I 」の話題にもどると、なかなかこういう本はあまりない。

西條さんの小学校のときの先生がものの大きさや重さを測るとかいうような教育をされたという。そのことを「あとがき」で書かれているが、天才的な物理学者ファインマンのお父さんがものごとを具体的なイメージを描いてみせることを徹底されていたので、ファインマンがものごとを具体的に考えるというようになったという話と類似の話であるように思えて興味深かった。

さらに、話がまったく異なるが、私は高校数学のe-Learningのコンテンツをつくっているが、その中に演習問題を入れている。この演習問題はあまり人が試験問題としてつくった作為的なものではなく、できるだけ実際に則したものが望ましいと考えて、できるだけそういうものを採用している。

たとえば、ある物性の書の中にあった太陽表面の温度を求める問題を演習問題として採用したことがあった。この点についての話もこの書に出てくる。しかし、この「測り方の科学史 I 」にはそういういい問題が多く隠されている。どういう風に地球の大きさを決めたかにしても、高校数学のいい演習問題になる。

言い方を変えるとそういうことを詳しく書いてほしいと私個人は思うのだが、これははじめから無理な注文であり、この書の欠陥というわけではない。むしろ本を簡潔に書くにはこのような書き方がいいのであろう。

しかし、これはかなり私個人の見方なので、学校の理科の先生たちはどのようにこの書を見るのであろうか。