「日本のマルクス主義者」(風媒社)は1969年に発行された本であり、昨日古書のインターネットで購入した。これの中に鶴見さんの書いた「武谷三男」があるから購入したのである。
私は筑摩書房から出されている鶴見俊輔著作集をもっているので、その中で読んだことがあるのかもしれないが、初めて読んだ感じがした。だから本当にはじめて読んだのかそれとも前にも読んだことがあるのかはわからない。
もっとも内容は初耳のことはなかった。だが、いつものことながら、鶴見さんの自分の判断できるところだけを述べて誰かの権威によらないところは気持ちがよい。
この文の中で終わりに「科学者としての武谷だとか技術史家としての武谷は論じなかった」という。自分に判定ができないところを誰かの権威によるのではなく潔く判断をしないというのは誰でにでもできることではないのかもしれないが、それでも言うべきことを言い切っているという感じを与える。
鶴見さんは4つの点について述べているのだが、ここでは最後の箇所だけを引用しておく。
思想の第一の目標は、同時代にとってのもっとも整然とした理論体系をつくることではなく、同時代にとっては見えにくい混乱した問題領域の中に入って、すぐれた解決方向をとらえるいとぐちを見つけることにある
とある。
さてはて、これも誰にでも真似のできることではなかろうが、確かに武谷の目指したことの一つではあろう。