12月に発行予定の数学・物理通信の10号の編集がほぼできた。一日をフルタイムでこの編集に費やしているわけではないが、二日目か三日目で目途がついてきた。
編集後記を書いておいたが、もう一度論文やエッセイのスタイルについて編集後記で書いておきたいと思っている。
これは投稿者に対する苦情だと思ってほしくはないのだが、投稿者が違うとそれぞれ好みが違うので、節を表すコマンド\section{ }を使いたくないという方も居られる。
だが、サーキュラーとしてはある程度統一が必要だから、このコマンド\section{ }を使って書き直している。その辺は投稿者の方々も許容して下さるものと考えている。
式の番号を入れたくないと思われる方もおられるし、また、本当に投稿者のlatex原稿の書き方はいろいろである。これを面倒だとみるか、編集者としてそれを統一してサーキュラーとして発行するのは楽しいと考えるか。
私はむしろ楽しいと考える方だが、そう考えないとこのようなサーキュラーの編集などはできないだろう。
それで思い出したのだが、一緒に仕事をしていて楽しい人とそれほど楽しくない人とがいる。なんでも面倒くさがらずに、外から見たら、嬉々としてやっているように見える人がいる。
そういう人と一緒に仕事をするのは楽しい。ところがいやいや仕事をしているように見える人とは一緒に仕事をするのはこちらも苦しくなる。不思議なものである。
私の経験でも一緒に研究をしていたときに、Yさんなどはもちろん私の先生だということもあるが、投稿論文の英語は直してくれるし、図のいろいろな編集上の指定とかも赤字で入れてくれるし、仕事をするのがとても楽に感じた。
坂田昌一が死の直前に意識を失って、スカラーだとうまくいかないが、ベクターだとうまく行くとうわごとでもらしたとか誰かが書いていたが、それは彼の研究の一番楽しいときだったからであろう。
現在では原子核中のパイ中間子はベクター中間子ではなく、擬スカラー中間子であることが確立しているので、上の話を読んで私などはちょっと違和感を感じたものだが、それでも坂田が湯川、武谷と共に一番楽しく研究を進めていたのが、この中間子論を研究していた時期であったことは疑いがないように思われる。